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菅野所長のエッセイ:400年後の「国家安康」

 最近では電車で立つのがそんなに恐くなくなったのだが、右肩の痛みが前よりも増している。まったく、懸念は途切れることがない。これも年のせいだが。
 一方、仕事のほうは懸念なことをすっかりきれいにしてしまい、これで気持ちもすっきりするのかと思いきや、そうでもない。やっぱり眠りがよくないんだよなあ。何だろか、荷下ろし反応とでも言うのだろうか。とにかく、自分のことにかんしては憂うつ感が抜けないなあ。

 自分以外のことでは、憂慮というか呆れることが続く。安保法制について、砂川事件の判決を持ち出してくるのだから、いやはやである。これをマニュアル化し、党内に配った官僚はよほどのアホだな。ま、首相の命令だろうが。

 下山事件とか砂川判決とか、アメリカがらみの国家的な陰謀みたいなものであることは常識だ。砂川事件など、一審で違憲とされた当時、検察は異例の最高裁上告。なぜなら、秘密裏に最高裁判事とマッカーサーが打ち合わせし、もちろん自民党も共謀して、逆転判決をするという取り決めをすることになってたからである。
 そして、そもそも判決は米軍の駐留が違憲でないと言ってるだけで、自衛権のことなど何も触れていない。こんなものは何の根拠にもなりはしない。現在、違憲の声明を出している憲法学者が200数十人、合憲論者が10人。これを無視し、60年前のインチキな判決を根拠にするんだからなあ。

 首相は前から救いようがないが、高村副総裁など、数年目の自弁などどこ吹く風で、これを根拠に合憲と言っているのを見ると、自分で自分が恥ずかしくないのかと思ってしまう。官房長官はどうか知らないが、自民党でもほとんどの者はこりゃ無理筋だと思っているだろう。実際、参議院はそうみたいだし。

 で、歴史的に見て、これはちょうど400年前の、徳川家康の「国家安康」「君臣豊楽」の事件と似た感じである。
 為政者というのは、いつの時代も同じで、何でも自分の都合のいいように、思い通りにしようとするわけだが、それを阻止するために、民主主義というあり方が生まれた。為政者の横暴から国民を守るために憲法があり、与党に対しては野党があり、権力に対してはジャーナリズムがある。いまや日本は野党もジャーナリズムも機能しないから、憲法は最後の砦なのだ。こうしたものを破ろうとするのは、どこの世界でも軍国主義なのであって、すなわち知性のない人である。ときの内閣が憲法を自由に解釈していいと発言してしまう首相は、背広を着ているが、まさにただの軍人なのである。ま、メンタリティは軍国少年。

 これに対し、維新の会の動きが怪しい。現代表の松野は、ほんとは嘘か知らないが、週刊誌で膨大な借金があるとか書いてあったし、その辺をつけ込まれて籠絡されるんじゃないかと心配だ。橋下がまた変なこと言い出すかもしれないしね。

 と憂えるのは、政治だけでなく、サッカーもそうだ。シンガポールにも勝てない男子代表には困ったものだが、しばらくひどい低迷期に入ると予測していたし、3年後を見据えてやるしかない。中心を早めに若手にシフトして、本田や長友も不動にしないほうがいいかも。

 本番のW杯、女子のほうがまたひどくて、予選は通ったものの、内容は負けに等しく、これから強豪と当たったらボコボコにされるのは見えている。まったく佐々木の采配と来たら、何考えてんだか。大野とか川村とか、役に立たないどころか、ミスばかりで、自らピンチを招くような選手は出したらあかんよね。日本で世界に通用するのは、今は宮間、澤、川澄、大儀見だけだが、不可解なのは、その川澄を使わないこと。ケガをしているふうでもないのに。4年前も最初は川澄を使わなかったし、この監督は選手を見る眼がほぼないね。下手で、スピードがない選手を寵愛しているようだ。ただし、右SBの有吉が、ついこの間まではどうにもしょうがない選手だったのに、ここへきてかなり化けた。これだけが明るい材料、他の選手で伸びているのはいない。

 と、何にしてもあまりいいことがないなあ。もうちょっと考えなきゃいけないかなあ。

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