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菅野所長のエッセイ:音楽の力

東京は今冬一番の寒さかな。午前中は雪混じりで、歩いていても手が冷たくなる。こういう日にゴルフの予定がなくてほんとうによかったと思う。

1月17日、阪神淡路大震災から25年。それからもう25年も経つのか。合掌。

今では神戸市民の40%は震災を知らない世代だということだ。

 
先日、再放送だと思うが、ロン・ハワード監督のビートルズのドキュメンタリー映画を観た。僕はストーンズ派なので、さほどに詳しくはないのだがね。でも、東京オリンピックは1964年だが、この年あたりを中心としたものだったので時勢的にも面白かったし、やはり、ビートルズが巻き起こしたものは革命的なことであったと改めて思う。

まあ、1966年頃までのことだから、音楽的には大したものではない。「サージャントペパーズ-」や「アビーロード」といった名盤中の名盤は、彼らがスタジオ活動になってから生まれたものだ。以降ライブをやったのはビルの屋上でのゲリラライブだけだ。
この映画の中心はあくまで1966年までのライブ映像。そのライブ時では、「ヘルプ!」から楽曲が格段によくなったんだなと思う。詳しい人はどう思っているのか知らないけど。
その頃までのビートルズだから、音楽的には大したものではない。それよりも、彼らが及ぼした社会的な影響に大いに心を動かされる。とくに、アメリカでの公演で、当時アパルトヘイトが普通だった会場に対して、「そんなのバカげてる」「それならやらない」と言い放ち、アパルトヘイトを撤廃させたくだりだ。これを機に、南部の会場も皆アパルトヘイトをやめるのである。
アメリカの人種差別の問題は、おもにキング牧師を中心とした公民権活動によって解消されてきたとみな思っているが、それよりもビートルズのほうが先んじているのだ。人種問題を思想が駆逐するのではなく、金儲けが駆逐するという、資本主義ならではの平等というものがここに現れる。これが何とも興味深かった。
共産主義が必ず独裁や差別を産み出すように、思想というものの頼りなさ、危うさに対して、資本の力は何と明快だろうか。そして、音楽がある種のユートピアを創るという考え方も、単純に音楽の力ばかりではなく、資本が介在して初めて可能となるのだろう。実際、音楽産業はつねに巨大な金が動いているのだ。ただし、よい音楽が何事かを動かす力を産むわけで、それを総じて音楽の力ということである。
以前アメリカで最も差別のない場所は軍隊であると聞いたことがある。差別の撤廃とは思想によって為されるものなのかどうか、よく考えれば、そもそも差別は思想によって産まれるものではなく、力によって産まれるものだ。だから、それに拮抗する力がなければ差別はなくなりはしないのだろう。
まあ、そんなかたい話は抜きにしても、この映画は面白い。ビートルズの来日は後回しだったのは、やはり当時の日本は音楽産業が未開だったからだろう。クィーンが日本で火がつきそれが世界に広がったような後の時代とは雲泥の差だったのだ。しかも、当時、ビートルズが来るということで、日本に入れるなと右翼が大騒ぎした。幕末以来の攘夷運動だね。
今観ると滑稽なことだが、当時はビートルズの短いマッシュルームカットでも大問題だった。映画では、少女時代のシガニー・ウィーバーが映像にとらえられて、それがものすごくかわいい。ウーピー・ゴールドバーグがライブに行く経緯もなかなかハートウオーミングである。

今年はオリンピックイヤー。そして、東京となると、僕はいつも1964年あたりを思い出すのだ。

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