ご予約専用フリーダイヤル
0120-556-240

誰のジャパン

 今年、東京の桜は早かった。その後の寒の戻りがあってまだ咲いているけど、週末の花見はつらかったろう。

 ところで、桜の開花日予想のひとつに「600度の法則」というのがあると知った。これは2月1日からの最高気温の総計が600度になると開花するというもので、データ的にはかなりの精度があるらしい。もっと早く知っておきたかったなあ。東京の桜はいつでも観られるからいいけど、地方の名所に行きたい場合には、その地の気温を調べて自分で予測することができるもんね。

 僕はもう一度だけでも長野の高遠の桜が観たいなと思っている。昔、一度行ったのだが、小彼岸桜という種類の、ソメイヨシノよりも上品というか淡い色の桜が城趾を埋め尽くして実に綺麗だった。あのときはたまたま満開のときに当たったけど、寒冷地の桜は読みづらいからね。

 さて世の中はいまだWBCの余韻に浸っている感がある。日本人はやっぱり野球が好きだね。

 先日、サッカーの代表戦があったけどあまり面白みがなかったしね。浅野のワントップのおかげで三苫が災難だったな。コロンビア戦はもうちょっとしっかりやってほしいものだが。森保の浅野びいきは、トルシェが西沢を偏愛したときと似ている。同じように選手の力量が分からないようだ。

 それからU-22の強化試合でドイツ、ベルギー戦があったが、1分1敗。確かに相手は強いけれども、ディフェンス陣がもうひとつだと感じた。でも、横浜マリノスの藤田チマ、ストラスブールに移籍した鈴木など見所のある選手はいる。それと、ナイジェリア人の父を持つGKの小久保ブライアンだな。もうA代表に呼んでいいでしょ。

 野球の代表とサッカーの代表を比べるなら、監督の違いは大きいかもね。「大谷、大谷」だったマスコミも栗山監督の手腕を取り上げるようになったからね。まあ手腕と言うほどのものではないと思うが、この人がトップにいるのはとても意味がある。

 栗山は昔ヤクルトにドラフト外で入団した。栗山なんてほとんど誰も知らなかったが、野球では弱小も弱小、教員の養成大学である学芸大出身ということで話題を集めた。当時僕は、選手としてよりも、将来の球団幹部候補としての意味が強いんだろうなと解釈していた。実際は僕の予想を上回って一軍にも上がったけど、やっぱり際だった成績は残せずに引退した。その後は解説者を経て日ハムの監督になり、1年目から優勝したり、日本シリーズ制覇など、監督業ではまずまずの好成績。

 去年代表監督になったのは、監督としての手腕もそこそこ買われたのだろうが、ダルビッシュ、大谷をよく知ることが大きかったのは間違いない。とくに大谷か。日ハム入団で口説き落としたのも栗山だったし。かつて、イチローは王監督だったからこそ「王さんに恥をかかせてはいけない」との名言とともに日本を優勝へと導いた。しかし、次大会の監督が星野と聞かされたときには露骨に嫌がったものな。そのおかげで原監督になり連覇となったのだが。

 そういう経緯があり、大谷にしても監督が栗山ならやる気になるだろうと踏んだわけだ。それは栗山監督の下で育ったダルビッシュも同じで、この2人の大メジャーリーガーのおかげで優勝を勝ち得たのだから、すべては栗山監督就任から始まっているということだろう。手腕という意味ではまさに「ダルビッシュ・ジャパン」であろうが、大きな括りでは「栗山ジャパン」でいいのだと思う。

 栗山の良さは、選手をとてもリスペクトしていることだ。それは自分が大した選手でなかったからだ。彼にとって、日本代表になる選手などリスペクトの対象でしかないし、ダルビッシュ、大谷などは崇めるべき存在なのである。そして、このような立ち位置こそが、今までの日本にあまりなかったリーダーをつくった。

 日本では、スポーツでも企業でも、成績にの良いものが上司になるのがほとんどだ。企業ではたとえば営業成績の良いものが出世して上司になる。しかし、誰でも分かるように、営業の力と部下をマネジメントする力とは別物である。その問題が多くのパワハラを生んでもいる。それはスポーツの世界でも同じで、古き伝統を汲む野球の世界ではとくに顕著である。昔、イチローが、日本社会の象徴のような、鉄拳制裁で有名だった星野の「監督」就任を阻んだのは、イチローだからこそできた破格の快挙だったのである。

 今「理想の上司」で栗山人気が沸騰しているらしいが、それが日本社会の問題の本質的な改善につながるのかどうかは不明である。栗山は日本野球の歴史にあって相当の「変わり種」であるからだ。

「変わり種」であるひとつの要因がインテリジェンスであることは、情けないことだが多分に真実である。栗山の懐刀である白井コーチの発言などを聞くと,これまでの野球人からは感じられなかった知性がある。投手コーチの吉井なども昔からピッチング論を語らせるとなかなかなのである。あまり注目されることがないが、吉井は日本でも好投手、メジャーに行っても好投手だった。白井もかつてアメリカにコーチ留学している。世界のベースボールを知っている彼らが監督栗山に傾倒していることは実に大きい。栗山は自分の力ではなく、コーチ、選手、皆の力を得て、それを発揮させることに長けているのではないだろうか。それこそが彼のインテリジェンスということかも。

 インテリジェンスという要因は、野球界だけのことではない。

 競馬で世界最高賞金のレースは「サウジカップ」。今年2月、このレースを日本馬パンサラッサが制した。1着賞金が何と13億円。近年、日本馬の世界での活躍がめざましいのだが、なぜこんなに日本の競馬が強くなったのだろうか? 

 僕はその最大の要因は調教師たちの進歩、競馬サークルの変容にあると思っている。日本の競馬では昔から調教師の多くは引退騎手だった。近年、それがだいぶ様変わって、調教師たちの子どもなどが多くなった。彼らの多くは大学に行って農学などを学び、当然調教師試験なども軽く受かり、最前線の専門知識を競馬サークルに持ち込むようになった。海外の競馬、方法論にも通じ、世界で戦うことを念頭に馬を育てるようになった。その先駆けは、イギリスで学んだ調教方法で革命を起こし、こたび引退した藤沢調教師である。そして、パンサラッサでサウジカップを勝った矢作調教師などはあの開成高校出身ということでも知られている。

 このように、引退した騎手が調教師になるというサイクルが繰り返されていた昔と今の競馬界は違う。つまり、騎手の能力と調教師の能力とは別物であることが、競馬の世界ではかなり区分けされるようになったのである。先日、名騎手福永祐一がまだ40代で引退を決断したのも、そうした状況を考慮してのことであろう。

 さて、野球界が競馬界のようになっていくのだろうか? あるいは他のスポーツ界や一般社会もそうなるのか?

それははなはだ疑問だ。しかし、少しでもそんな旧態依然が変わることがあれば、小さな風穴をあけたということで、今回のWBCには大きな意味があったと思うのである。

最初に戻る