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匂いの正体

 渋谷のハロウィンのことを心配していたところが、韓国はソウルで痛ましい圧死事故が起きた。原因はいくつか取り沙汰されるけど、そもそも大した目的もなく、あえて言えば群れること自体が目的の群集であればこういうことも起こるんだろうなと思う。だから渋谷の場合も心配なのだが、日本ではまだコロナへの警戒心があり、2年ほどの空白でハロウィン熱もやや醒めていたのがよかったようだ。日曜日の渋谷の中継を見ていたら、外国人はほとんどマスクをが外していたが、日本人は仮装する若者もほとんどがマスクをしていた。なおかつ、ボランティアとして清掃を買って出る若い奴もいたりして、このへんが外国とは違うところだなあと感心する。

 まあ僕なんかは若い頃から人がたくさんいるところにはできるだけ行きたくないと思うのだがね。スポーツ観戦のためにスタジアムに行くとか、コンサート、ライブに行くとかはは別だが。花火とかはすごく見たいとは思うけど、人がたくさんいると思うとね。過去に行ったのは座席を確保した神宮の花火だけだ。繁華街の雑踏も嫌いだし。混んだ電車に乗るくらいなら、夜遅く帰ったほうがマシだなと思うほうだ。

 そもそも人間は「接触型動物」には分類されず、個人空間を必要とする生き物であろうと言われている。しかし、そうした接触ストレスに強く、逆に混み合いを求める人もいるのだろう。こういう人は、当然行列もたいしたストレスではないのだろう。そういう人たちが狭いところに10万人も集まれば、恐ろしいことが起こるということだな。やっぱり、個人空間は確保したほうがいいよね。

 韓国と言えば、僕は暇なときは韓国や中国の時代物のドラマをよく観ている。ケーブルテレビでの新作がないときには以前に観たものも観る。先日数年前に観たものを再視聴したら、途中で主人公が口をきけなくなるという下りがあった。そういえばこういう展開だったかと思ったが、やはり自分がガンになる前にはさほどに気にしなかったことは明白だな。で、今回はじっくりと観た。回復して、徐々に話せるようになるシーンには感情移入してしまうなあ。

 ただ、その主人公と僕とでは、障害の仕組みが違う。僕の場合は声帯を取ってしまったし、口と鼻から空気が流入しない。だから話せなくなるとともに、口と鼻から息が吸えない。ここで空気が動かないから匂いも感じられなくなった。でも、味覚と嗅覚はもっと密接だと思ったが、幸い味覚は基本が損壊してはいなくてほんとによかった。

 このところはりんごジュースに凝っていて、品種ごとのストレート果汁を飲み比べるセットを人に職場に贈っている。ふじ、王林、ジョナゴールド、紅玉とかね。ただし、まだ自分が飲み比べていないので。このたびは職場用に再度大量注文した。今度は僕の分も取っておいてもらうんだ。人が多いもんで、かなり大量に注文しないと自分の分が残らない。

 ところで、嗅覚の問題は、前にも行ったように腐臭や悪臭が分からないのが一番困ることなのだが、この頃は嗅覚は情緒的なことに関連するのかなあと思い始めた。たぶん記憶ということにも嗅覚はかかわっているのかも。

 というのも、今年になって奄美大島に行き、淡路島に行き、先月は房総と3回海辺に行ったのだが、そこでいわゆる「潮の香り」「磯の香り」というものがしないのである。奄美でこれに気づいたときにはちょっと悲しかったなあ。わびしいというか、軽いショック。それほどあの香り、匂いが好きなわけではないが、海に行って海の匂いがしないというのは、「海に来たあ」という思いの何%かは削減されるわけだ。

 で、このことを重視し始めたら、意外な事実を発見。知らなかった。何とハワイでは「潮の香り」「磯の香り」がまったくしないんですと。

 なぜなら、われわれが多少かぐわしいと思っているあの「香り」は、植物プランクトンの死骸が発する匂いなんですと。植物プランクトンは川から海に流されてきたもので、それが動物プランクトンの餌になる。その死骸の匂いがあの「香り」というわけだ。

 日本には川がたくさんあるが、ハワイにはない。だから日本ではプンプン匂うが、ハワイでは匂わないと。日本だとたぶん匂いのしないのは種子島くらいではないのか。

 そうかそうだったのか。われわれはそんな腐臭を海の匂いとして崇めていたということか。しかし、嗅覚がなくなってわかる。そんな匂いでも今は懐かしい。海を実感したいのんだね。この「実感」ということに嗅覚はけっこうかかわっているんだろう。

 

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