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福祉の心

 そうえいば、うっすらと記憶に残ってたなあ。五輪映画の監督が河瀬直美だったこと。そうかあ、「萌えの朱雀」から観てるけど、あんまりたいした監督ではないと僕は思ってるからなあ。決して楽しみではないね。そんなことよりも、先日古本屋をのぞいたら、「アレサ・フランクリン  リスペクト」の本があったことに感動。そうだったのか。原作があったのね。定価が日本語版で3000円は安いのではないか。

 今週は、ちょうど一年だ。去年の1月23日に入院して、25日が手術日だった。今日は数日後だから、まだ意識も朦朧としていて、寝てばかりだったな。当時、身体には数々のチューブが差し込まれてたが、当然鎮痛剤も点滴されてた。これのおかげで、術後の身体でも全く痛みを感じずに過ごせるのだが、医者たちはこれを「マヤク」と呼んでいて、ひじょうに過激なものであると推察できた。が、僕には見当がついた。

 高良さんは、生前持病の腰痛に苦しんでいたが、ある頃からいい鎮痛剤があって,これを使うと痛みが嘘のようになくなると言ってた。たぶんそれだ。高良さんも「麻薬と同じ類いらしい」と言っていた。

 一説によると、現代医療の中でいちばん進歩したのは麻酔技術ということだ。前にコラムで紹介した精神科医の野村俊明氏は、学生時代に精神科の他には麻酔科を専攻したいと言っていて、精神科とあまりかかわりがないものを専攻するんだなと思っていたのだが、そうした先見を持っていたのではないかと思う。さすがだね。

 とにかく、この「マヤク」の効き目はすごいわけだが、当然副作用もあるわけで、意識がトロトロになってしまうことだ。僕の場合は、何か古い映画のスクリーンを観ているような感じというか、白い画面がパチパチと音を立て、次に何だかよくわからない色のついた画面がパタパタと崩れ落ちるように、コマ落としのように展開する。それがずーっと続く、こんなことがずっと続いていたら精神が狂ってしまうのではないかと不安になる。

 しかし、やがて画面は落ち着き、松並木がきれいな海岸が現れる。僕は、大きなリビングのある部屋でその景色を眺めている。そこは、普通の家ではなくて、どこかのクラブハウスのようだ。景色はうっすらとオレンジ色に包まれているので、どうも夕暮れ時のようである。

 どうもここは、J3かJFLかのサッカーチームのクラブハウスで、僕はあたらしく就任したゼネラルマネージャーのようなのだ。なんでそういうことになったのかはまったくわからないが、チームを強くし、客を呼ぶにはどうしたらいいのか、それを誰かと話し合ったあとで、1人でクラブハウスに残っているようだ。チームを強くするのは監督の役目だが、客を呼ぶのは俺の仕事だなと。まあ、そういうのは得意かもしれないと、不安なも多いが楽しみのほうが勝るような思いだった。それにしても、ここはどこだろう。この風景を見ると、どうも静岡のような気がする。たぶん、磐田の近辺ではないか。 僕は海岸を歩きながら模索する。どうししたら客を呼べるか、喜んでもらえるのか。選手たちにはまだ会えず、スタッフにもほとんど会っていないのだが、たった1人でいろんなことを想像したり考えるのは楽しかった。

 そこからの僕はゼネラルマネージャーとして意識を持ちながら、時間を過ごした。信じられないだろうが、これが夢であり、また幻想幻覚であると完全に自覚したのは金曜のことである(手術が月曜)。それまではときに現実の自分であったこともあったが、何しろほとんどの時間は夜も昼も寝ていたのでね。仮想の自分に戻ってしまうわけよ。

 覚醒したのはちょっと残念だったかも。もう少し仕事がしたかった。そして開幕戦を迎えたかったね。

 さて一年経って変わったことと言えば、障害者になったことでちょっとした意識も変わったことかな。

 先週末は九州に行ったのだが、飛行機で「飲み物を何になさいますか?」と来られたときには困った。指を指したが、違う飲み物が来ちゃうしね。新幹線の時と似てる。CAも僕がしゃべれないとは思ってないもんなあ。誰かといっしょなら困らないけど。

 福祉というものも考えるね。障害者になるといろんな割引があるのだが、行政は積極的に教えてはくれないので、基本自分で調べないといけない。携帯はようやく割引になったが、自動車税も減免になるという話だ。調べるとこうしたインフラはたくさんある。そこは日本のいいところだなあと思う。

 歴史を知ると、平安時代にはすでに身体障害者への恩典があり、障害の程度も3段階の決めがあった。こういうのは、唐の律令制度を範としたからであって、それは儒教思想が政治に浸透していたからだということだ。日本の福祉は儒教によるものなのだな。儒教は為政者の地位を盤石にするための思想と思っていたが、盤石にするためには、多くの施しをも備える必要があるということか。

 一方、北欧のような福祉国家におけるものは,日本とは違うようである。税金も高いしね。でも、国民はそれを選び、自ら払っている。彼らにとってそれは、徴収されるものではなく、投資するものに近いということだろう。

 日本では駅にはほとんどエレベーターがあり、高齢者や障害者に備えているが、北欧などはそうしたインフラはほとんどない。この違いは何か? 北欧では、困った人がいれば他の人が助けるというのが前提なのである。しかし、日本ではそうした助力は期待しないということになる。

 さて、どちらがいいのか。考えさせられるところでしょ?

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