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接岸練習

 先週廃車をしたことを書いたが、振り返ってみて、改めて自力でやったことを評価したいと思った。とにかく、電話でちょっと伝えれば済むことができないので、そこはなかなかたいへんなのだ。

 この辺のことを考えると、実はわれわれは電話とかスマホとかPCとか、みんな依存の対象としているんだなと思う。僕みたいになることや、老いていくことは、そうした依存の対象、支えとなるものを失っていくことでもある。

 たとえば、高齢者ドライバーの信じられない事故が話題になるが、あれもそうした依存の対象にしがみつかざるを得ない状況を明らかにしている。とくにある程度の地方になると、車がないとどうにもならないような状況があり、そこの住民は免許を返上などできない。では、個々が家の車に依存しないよう公共の乗り物を充実させればいいだろうと思うのだが、地方にはそうした予算がない。国は国で自動車メーカーへの配慮があり、恐れるべきは事故ではなく、国産車売り上げの減少ということだろう。

 われわれは何事かに依存しなければ生きられないのだが、その対象がたくさんあればいいけれども、それが限定されてしまうことでいろいろな問題が生まれていくというわけだ。高齢ドライバーの問題は、依存症の問題と同じではないのかな。

 さて一方で公共交通。群馬県で、市バスの運転手が障害者の乗客に暴言を振るったという事件があるのだが、どうもこれは乗客のほうにも問題があったような気がする。運転手は手帳の中身を見ないと県民であるのかがわからないから中身を見せろと言ったようだが、乗客のほうはこれを拒んだというのである。結局は県民だったのだが。さっさと見せていればよかったのにと僕は思う。自分が障害者になったからといって、無条件に障害者の味方にはなれないね。

 昔、障害児施設の手伝いに行っていた頃、健常児以上にわがままな子をたくさん見た。たいがいは親が甘やかすからそうなってしまうようだ。たぶん、世の中一般よりも、その2極化は激しいのではないだろうか。当然、大人になっても、そのままな場合もけっこうあるだろうと思う。

 さて、僕の場合は今日から実践的なリハビリをすることになった。職場の皆さんに協力してもらって、疑似面接みたいなことをやるのだ。1人で練習しているだけの段階はもう終わりだな。

 で、カウンセリングのように対話してみると、けっこう難しいのが相槌である。この相槌にかなりのエネルギーが吸い取られる感じである。で、いざ会話に移そうと思うとうまく言葉が出てこない。面接の場合、部屋が静かなので、力が入らなくてとてもありがたいのだがね。相槌は研究の余地がたくさんある。相槌は面接の生命線だからなあ。

 あとはやはりハ行が先に来る場合が難しい。だから相槌でも「はい」はあまり使わないほうがよさそうだ。サ行とカ行、タ行も若干そうだな。

 でも、練習を重ねていけばよくなっていくことだろう。と思える。そのうちには、新規の人は難しいと思うが、もう長いこと面接してきて、今の僕でもかまわないという人であるならば面接を再開できそうな気がする。

 今日のところはまずますの成果かな。ただし、みなさんが気を遣ってくれるから、僕が何を言いたいのかを読み取ってくれる。相手に頼っているようではまだまだだ。

 言いたいことがうまく言えない、言葉が出てこない、これは風が強くて接岸がうまくいかない船を操舵しているような感じと言えばいいのか。

 通勤にかんしても、電車が混んでいる時間帯を避けてきたが、そろそろ大丈夫かな。リハビリを兼ねて、夜までいようかなと思ってる。最近はあまり咳をしなくなったからね。話すと痰がよく出るのでやばいが、電車では話さないしね。僕が咳すると、周囲の人たちの不安と恐怖はすごいものになるからね。でもなぜか、7月のシャント手術後からは咳をあまりしなくなった。喉はよく詰まるけど。

 窒息する危険はないのだが、昨日ひさびさに赤福を食べたら見事なまでにすぐ詰まった。年取ったら赤福にはご用心かも。

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