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愚かなギャンブラー

 先週末は関西のほうにゴルフに行って、ひじょうに暑かった。しかし、帰りに、以前からよく行く京都駅ナカの寿司屋に行ったら、あいかわらずとても美味かった。初めての子持ちシャコ、北海道は厚岸ではなく、仙鳳祉産のカキフライが美味。日本酒もぐいぐいいけたなあ。手術後は食べる楽しみがかなり失われているので、こういう体験は嬉しい。ゴルフでどこかに行かないとこういう食事はほぼできないのだ。これがないとかなりの”ひっきー”になってしまうし。

 日曜はダービーだったのでこれの話題が出た。今回、本命馬が2着だったので、賭け金の3分の1くらいは戻ってきた。さてこういう場合、ふつうには損したとなるのだが、自分としては「損した」という感覚は薄い。「損した」ではなくて、「負けた」なのである。10万損したではなくて10万負けたと。たぶん、これが運だけの宝くじの結果だったら「負けた」ではないんだろうなとは思ったが。他のギャンブラーがどう感じているのかは知らないが、僕の場合はこうだな。

 今年の確定申告では、医療費とか障害手当とかあって還付金があったのだが、こういうときには何か望外に得したなあと思う。けど、実際はそれ以上に大変なお金がかかっているんだよね。だから決して得してる訳じゃない。だけど、得したような感覚になる。そうした損得の感覚が、ギャンブルをやらない人とやる人ではけっこう隔たりがあるような気がする。(自動車税は、無条件に4万5千円も減免されたので、こちらは「得した」と思えるけど)。

 これはマイナス思考とかプラス思考というものと似ているのかもしれない。マイナスのほうに重点を置くのか,プラスに置くのか。「これの成功する確率は70%です」と言われるのと「失敗する確率は30%です」と言われるのでは違ってくる場合もあるんだろう。「10万賭けて7万すりました」と「10万賭けて3万戻りました」でもやはり違ってくるのかもしれない。

 一見これはハッピー脳とも思える。いちおうだが、損得という基準に縛られているよりもいいのかもしれない。小さなことに喜びを見いだせるのはこっちかもね。

 ギャンブラー心理というやつは、昔は「間欠強化」という原理から語られることが多かった。ギャンブルへの魅力が強化されるのは「たまに勝つ」からだというものだ。確かにそれもあるね。でも、僕の場合は、「損した」ではなく「負けた」と表現するし、そもそも損得の基準が欠落していることにありそうだ。僕の父親はほんとにそういう人だった。母親は、呆れ、悩んでいたね。僕の場合はもちろんまったくないわけじゃないけど、それでも一般平均的なところから見たら理解に苦しむようである。

 昔、いろんなコーデュネイトをしているとき、「何か政治的な思惑があるんじゃないか?」とか疑う人がけっこういたもんな。いやあそんなことを考える人がいるんだとちょっと驚いたもんだ。だから、そういうことを考える人がいることを念頭に行動しなければいけないのだなと思ったわけだが、そんな大人にはなれなかったな。

 さて、来週は入院のための予備検査がある。これを通過すればⅠヶ月後には手術だが、はたしてうまくいくんだろうか? 先日のゴルフ場では、お掃除のおばちゃんとか従業員が「今日は暑いですねえ」と話しかけてくれるのだが、そういうのに応えることができない。関東ではさほどじゃないが関西に行くと気さくな人が多いからねえ。これくらいのことはできるようになりたいと思ったね。

 そういえば、熊本のゆるキャラ、くまモンがジュノンボーイに応募するというニュースを見た。しかし、ネックは話せないことだという。話せないことで差別を受けるのかどうか、ひそかに注目しているのだが。

 ダービーは本命のイクイノックスが首差の2着で、3割しか戻ってこなかった。

 今週は安田記念。イルーシヴパンサーが本命で、シュネルマイスター、ファインルージュ、ソングラインといった人気馬が相手だが、人気薄ロータスランドが絡めばいい馬券になりそうである。それよりもダービーが終わると新馬戦が始まる。そっちが楽しみだ。ね、負け続けても懲りないでしょ。

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