ご予約専用フリーダイヤル
0120-556-240

怒る資格

 やっぱりオリンピックは面白いなあ。何だかんだ、中国の開催ということや、ジャンプの不審規定のことなどあるけど、スノボ、ハーフパイプの平野歩夢がすべてを吹っ飛ばした感じである。日本人にとってだが。

 いやあすごかった。前回のショーン・ホワイトが、追い詰められて最後の逆転をしたように、今回は平野の番だった。あのときは平野が負けて残念だったが、その名勝負には痺れまくった。今回もそう。真の実力者というのはこういうことができるんだね。

 それと意外と語られていないが、平野歩夢は、Ⅰ年間で2回オリンピックに出るという、史上最初で最後の選手になるんじゃないの。あくまでコロナ禍というアクシデントによるものではあるけど、彼のストイックな姿勢がこういうことを招き寄せているとも思うね。スノボとスケボはかなり近いから他にいてもよさそうなものだが、他にはいないもん。大谷と同じ二投流。こうしたことを達成しているのが日本人というのは偶然ではないね。

 夏にも思ったが、スケボーやスノボはちょっとチャラいところがあるので、本音を言えば、あまり好きじゃないところがある。ハーフパイプはある程度歴史があるからいいが、スロープとかはねえ、競技としてはスリリングでめちゃくちゃ面白いのだが、あまりに失敗が多すぎるんじゃないかと感じる。世界最高の舞台でああまで失敗するのはいかがなものかと。

 

 それから、ある選手は、スタート直前までスマホで音楽を聴いてて、そこはまあいいのだが、それをポケットにしまって滑り出した。これって危険防止的な意味でもどうなの? 

 終わるとみんなで集まって称え合うというのもあの夏のスケボと同じ。まあそれもいいんだけど、同時に真剣さが足りないというか、安っぽい友情な感じがしてしょうがない。まあしかし、子ども同士だしね。黎明期というのはそういうものか。もともとはチャラかったスノボにしても、ショーン・ホワイトという選手がいて今のようになったわけだし。年月を重ねていけばもっと洗練されていくのか。

 ジャンプの団体については悲運としか言いようがないけど、昔からの違反スーツの問題をちゃんと解決しなかったのが根本にあるよね。こちらは年月を重ねて腐臭が立っている感じ。どの国も、勝つためにスーツを改良するし、日本を潰すためにルールを変えるし。

 スーツにかんしては、無論日本もそうで、メーカー(ミズノ)側もギリギリ攻めてると言ってるし。もちろん、今回は、予告もなく、教条的、原理主義的な審査が入ったことで大混乱を招いたわけだが、そもそも各国ともスーツで勝とうという姿勢が強すぎるんじゃないの。昔、空気がスーツの中に流れ込むスーツが作られたことがあった。そのことがあって、さすがに厳しく規制されるようになったが、近年はまたユルユルになってたと思うね。

 こちらは逆に勝負にこだわりすぎか? そこはスケボーやスノボを見習ってもいいかな。基本、Xゲーム系はチャラい。子どもが多いからね。

 まあしかし、選手個々には責任はない。高梨沙羅も謝罪することはない。彼女は犠牲者だ。

 今回ほんとに怒る資格があるのは金メダルのスロベニアくらいでしょ。スロベニアは国を挙げてジャンプ競技に取り組み、この数年で瞬く間に世界一の強豪になった。スーツは関係ない。でも、今回の大混乱で自分たちの努力、成果がまったくフォーカスされなかった。そのことに対する怒り、これは正当だろう。

 いまさら批判してもメダルがどうなるというものでもないが、高梨他、選手個人の名誉は回復してほしいものだ。ま、世論はそうなっているけど。

 一方、高梨沙羅の厚化粧はネットでけっこう批判されてたらしいね。僕も批判というのじゃないが、近年の不振との関連については述べている。批判と言えばそうかな。これについて化粧くらいいいじゃないと、誹謗中傷だろとの逆批判があるけど、一口に言えば有名税というやつではないかな。本人がどう思っているか知らないが、スポーツ選手の場合、成績が良ければこうはならない。良ければ、もっとケバくしろと言われるかもしれない。だから、決して化粧そのものが良くないということではないのだ。平野歩夢のヘアスタイルだって誰も文句言わないでしょ。

 そこはスポーツなんだから、成績悪いと文句を言われるのは当たり前で、少し前までのサッカー代表の長友なんかすごい言われようだった。でも、彼はそれで奮起したよね。サウジ戦では、インテルの頃のパフォーマンスには遠く及ばないけど、この試合にかんしてはライバル中山よりいいんじゃないのというレベルのプレイはできたからね。批判を力に変えることはいつでも可能だ。それでも、僕は長友はもう使わないほうがいいと思うけど。

 僕も、昔、学会での発表で、僕からしたらひどいことを言われたと思ったが、東京に帰って3日で論文を書いたことがある。怒りは原動力になるなあと、そのアホなコメンターに感謝したものだ。昔は、僕の言うことなんか全然理解されなかったもんな。平野歩夢も、2回目の滑走の祭典に対して怒りを覚えていたらしいが、それを3回目に込めたと言っている。

 石原慎太郎の死去の際に、彼に対する辛口コメントが問題になった。内容は僕もまっとうだと思うがね。でも、死者への敬意がないと。難しいところだ。僕は石原が嫌いだが、さすがに当日はないかなと。でも、一日ズラしても、「昨日死んだばかりなのに」とか言われそう。菅元首相(民主のほう)の「ヒトラー」発言について維新の会が怒ってたが、ヒトラーに例えるなんてのは普通でしょ。橋下徹も使ってたよ。

 まあしかし、問題になった発言は、社民と立憲の幹部だ。連中はすごく追い込まれてて精神的に余裕がないんだよね。だから、すぐに吠えるの、噛みつこうとするの。ほとんど死に体なんだから、相手にしなきゃいいんだよね。

 批判は批判として、受け入れても良いし、受け流してもいい。的外れでなければ、批判は封じられるべきではないだろう。人から非難されるとか、納得できない点をつけられるとか、失格だと言われるとか、まあ生きてる限り避けられないよね。それをどう乗り越えるかでしょ。ちょっとかっこいいこと言ったけど、相手を恨んだり批判し続けてもどうしようもないからね。いちおう、怒る資格があるのかということも考えるのも大事かも。

 石原慎太郎の件でも思うが、死んだら許される、罪が軽くなるような風潮が日本にはあるよね。日本だけじゃないか。まあ、良いとこでもあるし、悪いとこでもあるな。むろん敬意は大事だ。でも敬意を向けられるべき存在かどうかというのがある。誰からも向けられる人間はそうはいない。空気を読みすぎて空気みたいになっちゃう人(リトグリ)はいるけど、敵意も敬意も向けられないしね。 そういえば、アレサの伝記「リスペクト」は3分の1位読んだが、映画とはちょっと違うんだねえ。これを読み終えてからまた映画を観てみたい。

 さて、先週今週と検査や通院がちょっと立て込んだ。CT検査「再発は認められない」でした。まあよかったね。これで検査のインターバルが空くな。

 しかし、気管孔だ。チューブを外して2ヶ月になるが、主治医は孔を観て「ちょっと小さいなあ」と言う。僕にはわからないが、このままだと閉塞する可能性があるということだ。したがって、ふたたびチューブを装着しろと。えー、またかよと思う。もう大きいやつは入らないなあ。まあしかたない。

 シャント手術はどうなの? と聞くと、医師は「やろうと思えばできますが・・・」と言葉を濁した。

 どういうことかというと、現在入院、手術している患者が次々に感染しているらしい。手術はできなくはないが、リスクがひじょうに大きいと。なるほど、そういうことかと思っていたら、翌日の夕方のニュースで何と日大板橋病院が出てきた。コロナ感染でスタッフが50人くらい休んでいて、人員不足で大変なことになっているんですと。こりゃ無理だね。春が過ぎて、コロナが終息してもらわないとね。手術は早くて5月過ぎだなあ。

 それで今週はちょっと気力が萎えた。が、平野選手のおかげでちょっと元気になった。あとは雪で転ばないようにしよう。

最初に戻る