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安全神話

 僕が入院している間に変化したのは、コロナ感染の急拡大だ。春頃から感染者は減少していて、このままなら収束するのかなとも思わないではなかったが、それにしては減少度が漸次的すぎる。なんだかこの減少のしかたは相当変だぞと思っていたのだが、そんな懸念をよそに、政府の方針は行動制限の解除に動いた。それによって観光地も夜の街も人があふれ出した。

 そうしているうちに、ウィルスの変容の実態が明らかになり、2週前からは感染が急上昇。それは世界的現象でもあるが、とりわけ日本とフランスの伸び率がすごいね。

 いま朝方の変な時間にやっている「世界陸上」。観ていると、競技以外の時間にマスクをするのは中国の選手だな。さすが「ゼロコロナ」の国、外に出ても拘束はきついようだ。ノーマスクでいるのをテレビ中継で観られたら非難を浴びるんだろうね。

 その世界陸上の開催国アメリカでは、数万の観客はほぼ100%ノーマスクである。大リーグの中継観てもそうだね。もうすっかり警戒感ゼロという感じだ。しかしながら、現在アメリカでは、死因の3位がコロナなのである。弱者は切り捨てる、そういう国ならではのことだが、こうした事実を日本の若者は知っているのだろうか。当初から老人には危険なウィルスだが若者は大丈夫というイメージが与えられていたけれども、感染の裾野が広がれば、重症者の数も死者の数も増えるのが道理である。

 若者がワクチン接種をしてくれないことに政府は焦っているらしいのだが、若者に対して、原発のような安全神話を植え付けてしまったのも政府ではなかったのか。それに今回の感染率の増減についても、ちゃんとした統計学者ならばあの現象のしかたは変だったことくらい分かるはずだと思うのだが、そうした知見を取り入れているとも思えないし。

 過日の選挙では参政党というのが票をけっこう集めたが、ワクチン反対、マスク反対を旗印にしてるこの政党は案外人気があるらしい。まあコロナウィルスを甘く見ているなあとも思うし、疫病の本質もわかってないしで。どこにでもいる「そんなの個人の自由でしょ」という手合いでもある。そもそも、そうやって甘く見ることが、ウィルスの戦略に嵌まるということ、思うつぼなんだよね。

 そして「自由」のはき違えね。マスクのことについても、バカのひとつ覚えみたいに日本人の同調圧力とかを持ち出すのが多いけど、これはそういうものじゃない。いうならば、臨時の交通ルールみたいなものなの。赤信号では止まれというように、みんなで守らなきゃいけない類いのものだ。それが守られないとカオスでしょ。

 自由というのは、あくまで思想や言論にかかわるものであって、交通ルールのような決まりはそれとは関係がない。どんな考えを持つ者であっても等しく守るもの。それがないと社会は成り立たない。

 もちろん今回のマスクは臨時ルールであるから、いつかは外すときが来る。しかし、まだ外すときじゃないと、政府よりもはるかに賢い国民の大半は分かってはいるのだが、安全神話を植えつけられている若者にはなかなか受け入れられないんだろうな。

 さて、発声練習のほうは、さほど急檄に伸びてもいないが、ハ行以外はまあ大丈夫かなあという感じ。ハ行については,どこまで行ってもそううまくは出ないような気がする。

 でも、発声ができるようになって希望を持てたせいか、先週からエアロバイクを漕ぎ始めた。もうⅠ年以上やってなかったのだが。すぐに、簡単にできることなのに、どうしてもやる気になれなかったのだ。体力がないので数キロしか走らないが、もう4日くらい続いている。それでも今の自分にはいい運動だ。この調子で、夏のゴルフも何とかこなしてみよう。

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