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安全な国

 今日は、電車で本を読んでいたら、次の駅まで行ってしまい、戻るときもまたひとつ先まで行ってしまった。ほんとに何をやってるんだか。乗り越しなんて一年に一回もないのにねえ。で、こうなるとまた電車で戻るのも面倒というか、ばかばかしい気持ちになって、歩いて行こうかとなった。しかし、地上に出ると見慣れない景色でどっちに行っていいのかよくわからない。とりあえず歩き出したが、なお自信がない。そうか、それならスマホのナビがあるじゃないかと思い立った。車ではけっこうこれが頼りになるのだ。

 でナビの言うとおりに歩くのだが、どうも違う方向に行っているような気がする。途中で標識を見ると全然違うようにも思えるのである。東銀座から築地はすごく近いはずだが、けっこう歩いたところを見ると、あの辺をぐるんと一周してしまったようだ。それでナビを止め、自分の判断で歩いて、そのうち銀座4丁目に着いた。デパ地下でお弁当を買う予定だったのでそれでいいのだが、職場に着く頃には足が棒のようになっていたな。いつもよりも1時間くらい遅かった。

 でも、何だか面白かったな。ふだん歩かないところを歩くのは。しかも、歌舞伎座や築地、4丁目まで回ったので外国人観光客の多さも実感できた。ランチで行列ができる店もたくさんあった。なぜかヴィトン銀座店にも行列があった。外国人もアジアだけでなく、欧米や中南米もけっこう多いね。

 そういえば、京都に行くと中東が増える感じだったな。京都は観光客が着物を着ているからすごくわかりやすいのである。東京だと浅草がそうかな。YouTubeで観る限りでは。

 そういった外国人がみな言うのは、食事の旨さとともに、日本の治安の良さやマナー、清潔さである。夜中女性が1人で歩いても安全とか、落とした財布が戻ってくるとか、日本以外では考えられない。あとはゴミ箱もないのにゴミがひとつも落ちていないことに驚嘆する。

 145年前に日本を訪れ、それぞれの地で雇い入れる人足以外は、通訳1人を連れて各地を巡ったイザベラ・バードは、当時50歳、身長は150センチの小柄なイギリス人女性だった。彼女はまず横浜、東京から日光へ行き、そこからは「外国人未踏」の行程を歩んだ。新潟から山形、秋田、青森、そして蝦夷地まで。旅行記の中で、彼女は「日本ほど婦人が危険な目にも遭わず、安全に旅行できる国はない」と書いている。

 これを読むと、日本の治安の良さは昔からの伝統かなとも思いたくなるが、当時の貧村、寒村においてはイザベラのような外国人は見るのも初めてという存在であって、これを襲おうという発想にはならなかったのではないか。そうした外国人に何か累が及べば、役所の追及も極めて厳しくなるという予測も成り立つことであるし。

 そもそも、そうした北陸から東北の貧しい地域では、盗賊も生計が成り立たないのではないかとも思われる。昔読んだ本で、水上勉が開高健に語っていたことには、若狭湾から京都へつながる「鯖街道」は険しい山道で、鯖を運ぶのは女性の役割であった。その道中ではしばしば山賊が現れ、鯖とともに貞操も奪われる。だから若狭の鯖は悲しいのだと水上が開高に言うのである。

 若狭の鯖については、歩いて山を越え、京都に着く頃に絶妙の〆具合になるということと、この話が印象的である。こうした悲劇が起こるのも、盗賊にとって「鯖街道」は犯罪のリスクを冒す価値があるということになるだろう。一方、イザベラにかんしては、僻地を行ったからこそ安全であったとも思える。そこには、富がないので強奪者もいない。

 ただし、それはイザベラの不見識というわけでもない。外国人が異国の地でそう感じたことには、相応の根拠がある。そこで、現代ならいざ知らず、イザベラの見解はこう書き換えられるべきであろう。

「日本ほど外国の婦人が危険な目にも遭わず 安全に旅行できる国はない」

 しかし、今はもうそんな書き換えは要らない。いつまでもそういう国であって欲しいけど。

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