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イザベラに学ぶ

 トルコの地震からもう一ヶ月。阪神や東日本と比べて、規模はそれほどでもないのに、死者の数が尋常ではない。古い建物がが多いから、耐性基準をまったく満たしていないどころか、崩落はしないまでも違法建築であったビルも多いそうである。こうした違法は、日本では姉歯事件というのが有名で、ある一級建築士が柱の中の鉄材量をごまかしていた例があったが、トルコの場合は、鋼材ではなく木材を詰め込んでいたのだからひどいものである。それが大きなビルやマンションの支柱となっているんだからね。初動の失態やこうした違法を見逃していた行政、政府、ここまでの死者が出たのは人災の部分が大きい。そういう国にはあまり世界も支援をしないのではないかと心配になるが、最も支援金が多いのは日本であるという。

 日本とトルコは昔からの縁でそういう関係だよね。1890年、トルコのエルトゥールル号が和歌山県の串本町の沖で沈没、500人以上が死んだが、近くの大島の島民は不眠不休で救助活動を行い、69人を救ったのだった。この出来事をトルコ人は忘れない。イラン・イラク戦争のとき、攻撃が48時間後に迫っていたが、イランの日本大使館には日本人が200人以上取り残されていた。そこにトルコから救援機が2機来てくれて、全員が無事に脱出できたのだった。今回、いかにも人災という要素が強いにせよ、こうした友好関係は根強いのだなと思うし、恩というものを忘れないありかたが僕は好きだ。この話と次の話は昔このコラムでも書いたし。

 

 メキシコとエピオピアとの関係というのも忘れがたい。1985年、エチオピアはとてつもない貧困と飢餓、病気の蔓延に苦しんでいた。そして、この年メキシコシティで大地震が起こる。これに対してエチオピアは自分たちの窮状があるのに、メキシコに援助資金、物資を送ると決めたのである。当時このことは話題となった。逆じゃないかと。しかし、その年からちょうど50年前の1935年、イタリアに侵攻されたエチオピアに対して、メキシコが援助をしてくれたのだった。その恩を忘れないエチオピアは自国が崩壊の危機にあったにもかかわらず、メキシコに恩を返したのである。

 

 こういう歴史を持つ友好、関係というのは強いなあと思うが、逆に言うと、そういうものがまったくない関係はいかにも弱いし険悪にもなりやすいのだろう。

 僕は日韓関係、日中関係について思うのだ。何でこうもうまくいかないのかなと。先日、韓国政府が発表した徴用工問題の解決案はいったいどうなるのだろうか。慰安婦にしても徴用工にしても、韓国は解決済みの問題を蒸し返していることには僕もそう思うのだが、それでも韓国人のメンタリティというものをもう少し理解しないことには両国の関係の改善にはつながらないだろう。両国の歴史を考えれば、朝鮮人の知識や技術なしに、そして血統なしに、平安京の発展も天皇制の堅固な確立もあり得なかった。そういう友好な関係から始まっているはずなのに。

 決定的に悪化したのは豊臣秀吉の朝鮮出兵だ。加藤清正をはじめとした日本軍の残虐さは筆舌に尽くしがたいものがある。僕は別に自虐史観者ではないが、これを単純に昔のこととして片付けるのは、日本人には容易でも、朝鮮人には難しいだろう。

 僕がそのことをすごく感じるようになったのは、韓国も歴史ドラマ(時代劇)を熱心に観るようになってからである。もうひとつ自分もわかっていないのだが、多くの人は都合のいいように歴史を解釈しているなあとも思う。もちろんそれは韓国人も同じなのだが。

 そこでもっと客観的な視点を呼び込もう。

 トルコの船が日本で沈没した頃の時代、日本を訪れて旅行記を記したイザベラ・バードは、その16年後の1894年に李氏王朝末期の朝鮮を訪れている。彼女はイギリス人で、とくにどの立場にいる人ではない。探検家、作家というところだ。ただ模範的なキリスト教信者ではあり、世界がキリスト教で覆われることがいちばんだと考えているかもしれない。

 しかし、その観察眼や視点はなかなか鋭い。日本での子どもを観察し、それを「小さな大人」と表現しているところにはびっくりした。(「イザベラ・バードの日本紀行」講談社)これはあのフィリップ・アリエスが「子どもの誕生」で強調した見解ではないか。来日が50歳過ぎ、来朝が60歳過ぎ、ものすごいバイタリティとその才気ほとばしる文章からして、僕はこの人をだいぶ信頼できると考える。何しろ、僕らも知らないそんな時代の様子をこれほどに生き生きと映し出すものはなかなかないだろうし。そして、彼女は日韓どちらの味方でもないことは見て取れるし。

 彼女がソウルを訪れたとき、日本人居留地には約5000人の日本人がいた。当時、朝鮮の統治にかかわっていたのは、第一に日本、そして清国、ロシアだった。バードによれば、清はもちろんだが、ロシアもかなり遠慮がちにかかわり、やはり日本が権勢を振るっていたということだった。そして朝鮮人へのかかわり方において、他国に比べて日本はかなり横柄だったとしている。なお、これより3世紀前のことだが、豊臣秀吉への恨みを持つ朝鮮人はなお多く、彼らは日本人をひじょうに嫌っていたとある。(イザベラ・バード「朝鮮紀行」講談社)

 日本による統治に関することでいえば、当時バードも呆れていた両斑(ヤンパン)と呼ばれる貴族階級を廃したこと、清からの独立を成したことは、日本の統治の成果と評価する人がいる。日本は朝鮮を民主化したと。しかし、これは朝鮮の民主化のためではなく、日本の支配を強化するためであったことは疑いようもない。伊藤博文が先頭となり、不平等な協約を結び、朝鮮の朝鮮の内政権を掌握していったのである。

 ということで、歴史的に、韓国人の憎悪の対象は、豊臣秀吉、伊藤博文ということになるのだが、そこに3世紀の空白はあっても、反日感情は途絶えることはなかったのである。もしもこのときに本当に朝鮮の民主化のために日本が動いていたなら、あるいはここで両国の関係はフラットなものになったのかもしれない。

 この二人に続くのは差し詰め安倍晋三となる。安倍派やそのシンパが日韓関係をさらに悪くしたのも疑いようはないが、その安倍派の凋落(三浦某、高市某の問題含めて)が多少韓国の溜飲を下げているところに、今回の徴用工の解決案があるとも言える。これはチャンスだなあと思うね。とにかく、両国の関係を悪化させているのは為政者なのであってね、それと利害のない者からしたら、どんな国とも仲良くしたいわけよ。

 ロシアでのプーチン支持率は83%で、この数年動かない。何てことか。もっともこの数字は恐怖政治の裏返しであることを示している。でも、安倍内閣やそのシンパが思い描いた政治とはまさにこのプーチンのような政治体制だった。それは高市問題でまた新たに炙り出されている。かつて首相とともにTBSとテレ朝を執拗に敵視して言論弾圧を試み、今は自分が大臣だった省の行政文書を「捏造」と言い張る神経ていうのは、ほんとにどうなっているんだろう。三浦留麗も同じだけど、そういうメンタリティこそが、ロシアや中国などの体制とつながっているってことなんだよね。

 さらに最近僕が熱心に観ている動画が、日本に訪れた外国人が何をどう感じているのかということ。とくに韓国はかなり日本に来るね。みな反日教育を受けながらも、日本が好きのようだ。そして、実際に来てみて、さらに親日家になっていくようである。政治家はダメだが、観光客と交わる日本人はみな素晴らしい外交官となって日韓関係の改善に貢献していると思える。日本人のそういうところは世界でも希に見る能力だ。そうした努力が積み重なってわだかまりが消えていくこともあるかもと、けっこう明るい気持ちになるのだった。

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