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入院を前に

 こんなに早い梅雨明けは生まれて初めてだなあ。昔は7月の中頃から20日くらいにものすごい雷雨が一発来て、そこから梅雨明けになるのがパターンだったが、近年はそういうのもないね。

 天候がこうも変わってくると、いわゆる風物詩みたいなものもなくなっていくのかなあ。最近では、この季節は「ゲリラ豪雨」とかだもんね。あれも東京では僕の住んでる練馬あたりの名物だ。お台場あたりの臨海開発でビルがたくさん建って、東京湾からの海風が左右に迂回するようになり、それが合流するのが練馬あたりなのだ、と言われている。大きな意味では人災みたいなものだ。東京の夏が暑くなった理由もそこにあると言われている。

 でも今日は湿気がそんなにないようで、ただ暑いだけと感じた。湿度さえなければいいんだよね。でも、こういう日は珍しいかも。

 NHKBS「ワイルドライフ」で鳥たちの言葉(鳴き声)によるコミュニケーションというのが面白かった。シジュウカラたちはたとえば「鷹が来た!」という声で仲間に危険を知らせる。まあこれはわかる。面白かったのは、シジュウカラよりも弱いので餌場に近づけないコガラの知恵だ。コガラはシジュウカラの「鷹が来た!」を鳴き真似し、シジュウカラが逃げていった餌場で悠々と餌にありつくのである。

 もともとこういう番組は好きだったが、手術以降、声を出せない立場としてはさらに興味深い。声や音といったものの意味をより深く考えるようになった。

 昔、初めてダイビングをしたとき(確かバリ島で)、なにより驚いたのはそこが無音の世界であったことだ。ボンベを使っての自分の息だけは聞こえるけど。

 そこでダイバーはジェスチャーで意思の疎通を図るのだが、水中めがねの視界は結構狭く、海中も暗いので、慣れないとすごく手こずる。つまり健常者にとっては不便な場所だなあと思うのである。しかし、一方で言葉を話せない人や耳が聞こえない人にとって、水中はそのハンデがなくなる場所なんだなあと思った。つまりここでは健常者と障害者が対等となる。それが興味深かった。

 魚や水生動物なら水中で音によるコミュニケーションもできようが、人間はそうはいかない。海中は視界も良くないので、音と臭いかな。

 そしてつまりは、陸上では、われわれはどれだけ音や声に依存しているのかということを思う。

 私の父親は晩年耳が全く聞こえなくなった人だ。本人は中途半端に耳にノイズが乱流するよりも快適になったようだが、あるとき後ろから車にぶつけられ腰の骨を折ってしまった。車の接近する音が聞こえていれば避けられた事故だと同行していた母親は言っていた。こうした例を知ると、音をキャッチできる僕はまだ生きやすいのかなと思う。声を出せないことで、誰かに何かを伝えることは大変な作業となるけど、受信ができるのは幸運だな。

 そして嗅覚はなくなったが、味覚が残っていたこともありがたいことだ。先日甘口のカレーを食べたらけっこう美味しかった。インカのめざめのフライドポテトもうまかったなあ。日本酒も銘柄によってはいけることがわかってきたし。

 さて、「今度の手術で嗅覚は戻るのか?」は聞き忘れている事柄ではあるのだが、理屈からするとあり得ないかな。

 で、PCRに問題なければ、この木曜に入院し翌日には手術だ。この手術の成功例を見ると、手術の次の日にちょっと話せる人もいる。でも、過大な期待はしないようにしよう。ダメならダメでしかたないよね。難しい手術ではないと医師は言うのだが。

 今回も病室から特別手記をお送りしましょうか。予定はⅠ週間。ここしばらくの猛暑も避けられそうかな。

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