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上弦下弦 

 中学か高校生の頃だったが、学校をサボっていた僕が何気なくテレビをつけると、母親がスタジオでインタビューを受けていた。一体何事かと思ったら、どうも母の書いた詩がその番組に取り上げられているらしかった。内容は戦争時、空襲時のもので、あとで問いただすと、他の家族には内緒にしてくれと言われた。そんな趣味があるとは知らなかったが、密かに詩を書きため、いろいろ応募などもしているようだった。なかなか文才があるんだなあと感心したが、まあその才能が少しは自分にも受け継がれたのかも。四角い部屋も丸く掃くような人だったが、その辺も似ているか。

 3月10日は東京大空襲の中でも最も苛烈なものだったという。僕の母は学徒動員で川崎の工場地帯に来ており、そこで何回も空襲に遭っていると聞いた。川に入っては耐えられない熱さと火から身を守ったとか、逃げる途中で目の前に焼夷弾が落ち、幸い不発だったがショック死した人がいたとか、その戦争、空襲の体験は子ども心にもリアルなものだった。

 今はそんな人伝の話さえ知っている人が少ないだろうが、テレビでウクライナの爆撃を見れば十分に伝わるものがあるに違いない。よく戦争は嫌だと感情論で言ってるだけではダメだと言われるが、その悲惨に震撼しないとすれば、それもどうかと思う。それではプーチンと同じ人種だろう。

 

 しかしながら、自分が絶対に正しいと思っている人間はそもそも悲惨など感知しないか。プーチンも、自分のやっていることは戦争とも侵攻とも思っていないだろう。中東の「聖戦」と似ているかな。もちろん、千島列島も日本のものだなんてこれっぽちも思っていない。にもかかわらず、「ウラジミール」と媚び、ロシアに貢いだ元首相ときたらね。先日はロシアを非難したら、たちまち「おまゆう」の嵐だったな。

 ただし、こうしたロシアや中国の見方や考え方を断罪するだけでなく、理解をすることは外交上大切なことだろう。以前歴史学者の網野善彦の著書で教わったことだが・・・日本という国の全貌をイメージするとき、僕たちはいつも太平洋側からの地図を採用している。そのとき日本は上弦の月のようなかたちをしているはずだ。しかし、その視点でなく、ロシアや中国の側から日本を見るとどうなるか? 

 これはけっこう衝撃的である。日本は下弦の月のようなかたちになり、それは大陸の小さな取っ手のようなかたちでもある。日本海はその内海にすぎないように見える。つまり、あちら側からすれば、日本は本来は大陸の一部だと、われわれの一部だという認識がかすめるくらいは日常的にあるだろうということだ。しかも、これは地質学的には正しいし。

 聖徳太子の時代に、随への書簡で「日出ずる国から日沈む国へ」と記したのは、大国に対してあまりに強気すぎるんじゃないのと子どもの頃には思ったが、これはただ「東にある国から西にある国へ」というきわめて客観的な文章だったのだ。だから何の報復もなかった。たぶん当時の歴史学では、新進気鋭の日本が調子に乗っていたという解釈が多かったのだろう。

 とにかく、地図の上でも何でも客観的であることが難しい。だから相手の視点を獲得し、できるならば互いの視点を共有するようにしていかなくちゃね。まあしかし、プーチンのような人物となると、そういうことも無効かなあ。制裁は即効性が不足してるし。あとは、数少ない革命を知っている国の民に期待するしかないのか。

一方で、中国は? ロシアより、プーチンよりマシかなあ。一応、香港も返還の期日まで我慢したし、ルール遵守の感覚はある。あの頃は,という話だが。

 10日が空襲77年目なら、11日は東日本大震災から11年目。先日は東電の賠償責任が問われたが、国の責任は未だである。賠償金が少なすぎるよね。福島ではいまだ三万人以上が避難している。返す返すも,原発の安全が軽んじられていたことが僕には許せない。

 ほぼ同じ規模とみられる貞観地震について調べてみると、菅原道真が上級官吏試験を受けるときに、論述問題のひとつが「地震について述べよ」だったらしい。びっくり。そんなこと知らなかったなあ。この前年に地震があったわけで、都には及ばずともその被害は大変なものだったのだろう。道真は、大地は大きな亀の上に乗っているという当時の考え方を解答に記した。いくら天才であっても、当時の科学、知識ではいかんともしがたい。

 自分の知識や考えはいつも疑っていないとね。学生時代に読んだ「間違いだらけの科学史」って本はそれを教えてくれたかな。

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