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菅野所長のエッセイ:三色の虹

 ああ今週も1週間が終わろうとしているなあ。お盆の頃だというのに、僕の忙しさはいっこうに変わりない。昨日なんか、面接していたカウンセラーは僕一人だったと、終わってから知った。世間ではUターンのピークだとか。まあ、競馬は負け放しだし、仕事するしか能がないからしかたないと。再来週は、学会が重なり、そこで1週間休むし、それまではがんばってみよう。

 しかも、この間、1年間かけて本を一冊書くと編集者と軽い約束をしてしまった。ほんとに書けるのだろうか? 書く時間なんか何処にあるというのだ。明らかな見込み発進。自動車教習所なら確実に怒られるところである。

 ブエルタが始まるまでは特に楽しみがない中、今は「夏目友人帳」だけがささやかな楽しみである。ここには、僕がずっと考え続けてきた、人と人とのかかわりについてのある姿がある。それは何とも言葉ではあらわせないのだが、多分それに触れるたびにさめざめと泣いてしまうのだ。

 中でも僕がいちばん好きなのは、村の厄難を払う2対の妖(あやかし)の話だ。あるとき、彼らの前で村人が「三色の虹を見ると何でも願いが叶うそうだ」という話をしていた。妖の一人は「人間て、何てばかばかしいことを言うものなんでしょうね」と一方に語った。けれども、それ以降、その妖は虹が出るたびにそれが三色でないことを残念がったという下りである。
 しかし、村を飢饉が襲い飢えに苦しむ村人は、祓い神のせいだとその妖がよりしろとしている狛犬を壊してしまう。それにより、人間の幸せをいつも願っていた妖は悪霊となってしまった。そうしたことのあった何百年か後に夏目たちがその悪霊を鎮めるという話なのである。夏目たちの力で悪霊が元の自分を取り戻し、しかし、消えてしまった後、夏目は、その祓い神の周りに花を植えることを思いつく。それも「三色」の花を。そのオチがこれまた憎い。

 ここから想起したのは、昔3冠馬ミスターシービーが、しんがりからごぼう抜きしてダービーを勝ったときに、解説の井崎周五郎が、「寺山さんに見せたかったなあ」とつぶやいたことである。寺山さんとは言わずとしれた寺山修司。寺山はミスターシービーの騎手吉永正人を贔屓していたが、このレースを観ることなくこの年亡くなったのだった。

 この二つの話が何処でどうつながるのかうまく説明できないが、すぐに連想するくらいだから僕の中ではつながっているのだろう。ただ、自分の記憶の中では、これを言ったのは大川慶次郎ということになっていた。このあたりの記憶というのはほんとにあいまいだ。 確認のために調べてみると井崎周五郎。まあ、井崎さんでもいい。いつもニコニコと適当なことばかり言っているように見えるが、僕が知る限り、競馬における寺山修司を最も理解していたのは井崎さんだったと僕は思うのである。それは当時の追悼文を読んだときに思ったのだったが。

 この井崎さんとは、そのずっと後に僕が本を出すときにお世話になるのだから世の中はわからない。あるとき寿司屋で偶然会って挨拶とお礼をしたのだが、ほんとにいい人だった。で、話をすると、競馬を(観)始めたときがまるで一緒だった。雨中、ダイシンボルガードが勝ったときのダービー。このレースは、直線でダイシンボルガードが抜け出してきたときに、この馬を世話している厩務員さんが喜びのあまり馬場に飛び出して走った事件で有名である。
 厩務員さんと言えば、かつてハイセイコーの厩務員だった人は、ハイセイコーが地方から中央に移籍したことがショックで失踪してしまったこともある。

 こうしてみると、競馬にもいろいろな物語がある。そういうところも好きなんだろうな、きっと。  

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