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ポコペンとかまぼこ

 日本ではほとんど山火事など起きないものだが、昨日は愛媛県の大洲で山火事が発生、なかなか鎮火せずというのでちょっと驚いた。何しろ先日この大洲にいったばかりなのである。愛媛に行くとなって、大洲の「ポコペン横町」というところにぜひ行ってみたいと思ったのだ。

 「ポコペン」とは、小さい頃に缶蹴りだのかくれんぼだのをするときに、「誰それ見つけた、ポコペン」と必ず宣言してから缶を踏まないと鬼をアウトにできないという謎のルールがあり、その謎の言葉が「ポコペン」なのである。何が起源なのかはさっぱりわからないが、とにかく子どものときには僕もそれを使っていた。学校の友だちとの遊びが中心となると、そういう遊びはまったくやらなくなるので、ながらくその言葉さえも忘れていた。

 しかし、去年、あるニュースで愛媛県の大洲というところに「ポコペン横町」というのがあるのを知った。町おこしの一環らしいが、街の一角に昭和の30年代くらいの古い横町を再現しているのだという。そういえば小さい頃に「ポコペン」なる言葉があったなと思い出し、しかも意外なことにこの言葉は全国的に共有されていたのかと驚いた。もちろんネットなどない時代、しかも、電話もテレビ放送もおぼつかないようなあの時代にあって、この言葉はどうやってガキどもの世界で伝播していったのだろうか、そのずっと前から全国的に認知されていたのだろうか、調べてみると、日清戦争の頃には使われていたとあるが、それがどうやって全国的な遊びにつながっていったのかはさっぱりわからない。しかし、昭和30年代、僕は「ポコペン」と何回叫んだかわからないくらい使ったのは確実である。そんな郷愁あふれる名がついた横町があるなら行ってみたくもなる。

 大洲は松山から30~40キロ南、川沿いにある昔ながらの小さな城下町である。観光名所として大洲城というのもあるが、近年の建て替えなので城としての歴史的価値はあまりない。愛媛には松山城と宇和島城、現存する12天守と呼ばれるもののうちの2つがある。あの辺に行けばわかるが,愛媛は四国の中でもあまり戦乱とは縁がなさそうな地理にある。松山の背後は山があり、敵が攻め入るとしたら山越えを余儀なくされるし、海から攻めようと思っても、松山の前は豊後水道があり潮流がきついわけである。だからこういう名城が今の世にも残るのだろう。そして人々が何とものんびりおっとりした感じなのも、長らく戦乱とは無関係な歴史があるからかもしれない。

 さて大洲の町並みはちょっと倉敷と似ている。倉敷の美観地区のように綺麗に整えれば観光客をもっと呼べるんだろうが、そこまでの予算はないのだろう。そういう意味では「ポコペン横町」はなかなかのアイデアだ。僕なんかもう懐かしくて懐かしくて、これは家にあっただのなかっただの、何回も歓声を上げた。でも、ここに来て盛り上がるのは僕の世代中心だろうから、今後は客足が減衰していくのは目に見えている。今でもこの横町が営業しているのは土日だけだ。

 大洲は今のうちに次の手を考えないといけないね。松山からここまで足を伸ばす人はなかなかいないようだし。でも「ポコペン横町」を考え出した人もいるんだから何とかできないものか。安直かもしれないが、食べ物関係がいいんじゃないか。

 実は,今回思いもつかないような食べ物と出会った。それは「削りかまぼこ」というものである。いやあ世の中にこんなものがあるなんてね。いったいどういうものかというと、かまぼこが鰹節のようにスライスされたものなのである。紅白が混じってきれい。何なら緑色だって加えられるだろう。インパクト大だ。で、中身はかまぼこなのでそこそこ美味い。そのままでもいいし、ご飯にかけてもいい。

 これは珍しいし、日本人の大半は好きだと思うよ。でも、そういう価値が地元の人には案外分からないのではないだろうかね。食べ物でびっくりするなんて佐賀のワラスボ以来だな。ワラスボは二度と食べたくないと思うが、「削りかまぼこ」は進物にだって使えちゃうくらい減点材料なしだ。

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