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熊と生きる

 イスラエルが地上侵攻を先送りすることに合意したとある。これにはカタールとエジプトが間に入っているらしい。大国は一方に荷担するだけだし、両国からの信頼があるのはとくにカタールだということだ。意外な国名が出てきたが、とにかくよかった。

 実は先々週このコラムを休んだのだが、そのときは明日にでも地上侵攻をするとイスラエルが宣言していたので気が気ではなかったからだ。だってガザはああいうとこだし、とんでもない虐殺になると予想されたからね。

 これまで僕が見てきたものは、ベトナム、湾岸戦争、ウクライナと、ほぼ侵略ではあるものの、かろうじて戦争と呼べるものではある。基本的に職業軍人同士の戦い、少なくとも手に武器を持った者同士の戦いである。でも、ガザへの空爆を見るとそれはもうわれわれの知る戦争ではなくて、最初から一般人を狙った虐殺である。そして最終的にはすべてを掃討する地上戦に移行するというのである。昔のタイムラグのある映像と違い、今は中継される。そんな虐殺をリアルタイムで知り、映像を見せられる。そう思うとコラムに駄文を書いている場合ではないなと思ったのである。

 しかし、さすがに世界からの批判を浴びたからかイスラエルも思いとどまったようで、地上戦は持ち越されていた。アメリカでは、何とユダヤ人たちが空爆反対のデモを行い、イスラエルを非難した。「いざ、鎌倉」とばかりに、戦士として母国に馳せ参じたユダヤ人も多いのであるが、さすがアメリカ、こういうところがどの国よりもすごい。かつてベトナム戦争中に「戦争反対」のデモが全米を席巻したように、自由と多様性に際立つ。湾岸でももちろんそうだった。1960年代の日本だったら「非国民!」と,今で言うネトウヨ系からなじられただろう。何しろ、デモはもちろんだったが(新宿騒乱)、新宿の西口広場で歌を歌うだけの集会が、警官に化けた2千人の機動隊に鎮圧されてしまったわけである。あの頃の日本が今のロシアや中国でもある。

 「パレスチナ問題」とはイスラエルやアメリカ側からの捉え方である。本来なら他所からやってきて無理矢理国をつくってしまった「イスラエル問題」であろうに。しかし、時の流れと強国アメリカのバックボーンのおかげでもはやその端緒はあまり関係がなくなってしまっている。既成事実というやつ。自衛隊の存在みたいなものだね。

 僕はイスラエルを支持しないけれど、でもハマスの指導者もなんだかなあと思う。外国にいる自分には累が及ばないからか。ガザの人たちのことを考えろよと。こうなることは目に見えてたでしょうに。ま、しかし、現在はハマスが一歩引いて人質を解放したりしている。引かなければほんとに大虐殺が起きてしまうしね。

 でもあまりにも根が深い問題だから双方とも解決にまでは歩み寄れない。知恵を使ってもう少しでもいい着地点を見つけられないものかとは思う。でもなあ、世界の戦争はほぼ利権,利得目当てだが、中東は憎しみ合いだからねえ、難しいよねえ。

 結局、人間というのはそういうものなのかと思ってしまうな。ウクライナでも中東でも、アフリカでも中国でも,北朝鮮も、紛争や闘争が絶えることはない。そんな世の中、世界を見ることは僕の生涯ではなかった(あと少し残っているけど)。

 とはいえ、100年前と比べれば、500年前、1000年前と比べれば、まだ良くなっているんじゃないかと。日本だって、10数年続いた応仁の乱とかあったり、150年続いた戦国時代があった。300年の平和があり、明治維新からこっち内乱はない。第二次大戦以降、外国との戦争もない。それというのも、良くも悪くも、戦うこと以外の解決策をどこかで見つけているからであろう。自力ではないけど、戦争放棄という名目がやっぱりその解決策に相当しているんだよね。憲法改正論者は,それに代わるだけのものを見つけられないということではないか。

 今年の熊被害は過去最大ということだ。東京でも被害こそゼロだが、目撃情報は100件を超えている。

 動物保護団体が、熊を駆除するのは残酷だ、動物虐待だと主張するのはいいが、人間も熊も安心に暮らせる状況という解決策を提示できない。どこかの会長が、「熊は、利口なので、人間の言葉も理解できるんです」と述べたので、ネットでは総ツッコミが起きた。「じゃあ、あなたたち保護団体が、山に入って熊を説得してきてくれ」と。もちろんほぼ揚げ足取りなのだが、解決策や代替案もなしの主張はかくも虚しいとよく分かる例である。

 われわれは皆、自分の中に、身近な集団の中に、必ず熊のようなものがいて、それとどう折り合っていくか、日夜考えているのかなと、今思った。

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