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ペンキはいつ乾く

  ドイツ戦での勝利に歓喜したのもつかの間だ。敗戦の虚しさとはかくも大きいものか。

ある友人はドイツ戦の勝利を祝ってキャバクラに行くと。ものすごく楽しかったようだが、たぶん僕以上に「天国から地獄」である。

 なんでこんなことになってしまったのか? 森保が監督になったときからこんなサッカーをするんだろうなと予測はしていたが、実際に目の当たりにするとやるせない。怒り、憤り、悲壮がミキサーで激しく攪拌され、無常、無気力に変わっていく。まあ、最終戦でスペインに勝つという奇跡を願うしか、やることがない。

 心理学では「達成動機」というジャンルの研究が昔たくさんあった。人々が何かを達成したいという思いはどのような条件で浮き沈みするのかみたいなことね。そんな中で「失敗回避」という動機もあるという考え方があった。今の状態にプラスアルファさせるものとして達成をしたいという動機がある一方、今の状態をさらにマイナスにしたくないという動機もあるんじゃないかと。達成しなくてもいいから、失敗だけはしたくないと。

 僕のほんとに若いときの話だが、たしか、この失敗回避動機というのはそんな強いものがあるんだろうかという考えもあると聞いたことがある。よく思い出せないのだが、でも、コスタリカ戦を通じてこれについて考えさせられたのである。今日は急きょその話を。

 金子達仁というサッカージャーナリストがいるのだが、近年では珍しくいいコメントをしていた。それは初戦でスペインにボロ負けしたコスタリカが、日本戦でなぜ超守備的なサッカーをしてきたのか? の考察である。戦前、コスタリカももう負けられないから「死に物狂いで来る」というのがこちらの共通認識であり、ほぼ全世界がそう思っていたのではないかと思う。しかし、まったく違った。それはなぜか?

 金子によると、伏線は40年前にさかのぼる。1982年のワールドカップ。イタリアが優勝したときで、僕もよく覚えてる。ロッシ、コンティ、バレージ、ゾフといった名選手がいて、実に強かった。

 この大会に中南米からエルサルバドルが2回目の出場を果たしていた。このエルサルバドルは、アルゼンチン、ベルギー、ハンガリーといった強豪と同組で(ハンガリーは昔強豪だった)で、初戦のハンガリー戦では何と1-10で敗れた。10得点というのは、いまだ破られていないW杯記録である。初戦でこれでは、あとの国との戦いではどうなるんだと思いきや、次のベルギー戦では1-2、アルゼンチン戦では0-2と締まった試合をするのである。決勝に進んだのはベルギーとアルゼンチン。額面ではハンガリーは弱いほう。つまり、2戦目からはひたすら守備に徹したことがうかがえる。

 これが何を意味するのかというと、金子は、エルサルバドルには、勝って惨敗の汚名をそそぐとか、負けても潔く散るとかいう発想はなかったのだと言う。そういうことよりも更なる恥や惨敗をしないことに注力するのだと。そういうメンタリティなんだと。しかも、エルサルバドルとコスタリカは距離にして200キロ、言語も同じ。同じような国なんだね。

 わからなくはないが、われわれ日本人ならそれを良しとはしない。それは欧米も同じだろう。それはなぜかというと、日本なら武士道、欧米なら騎士道といったものがスポーツ精神に底流しているからだろう。同じ負けるにしても正々堂々と戦い、散るほうが立派であると。しかしながら、たぶんそれは強者の論理なのだ。同じラテンアメリカでも、アルゼンチンやブラジルとは違う、正反対のメンタリティを持つ国々は多いのではないか。

 昔の心理学の話でも、とくに当時の心理学研究というのは欧米中心のものだから、つまり強者のメンタリティを扱うものだから、「失敗回避」という動機はあまり理解されなかったのかもしれない。

 コスタリカの監督ルイスフェルナンデスもまたコロンビアのディフェンダー出身で、ブラジル、アルゼンチン以外の多くの中南米諸国で監督を務めている。がっちり守って一瞬の隙を突いて点を取る、そんな中南米の典型的なサッカーをする。それはブラジルとアルゼンチンという超強豪国にこっぴどくやられ続けるチームが、針の穴ほどの勝つ可能性を得るために身につけた戦法なのである。

 だからスペインに0-7で負けても、そのサッカーを変えようとはしない。しかし、そんなことは夢にも思わない森保ジャパンは「死に物狂いのコスタリカを侮ってはいけない」と、こちらも守備を固めた布陣で戦う。そもそも森保は守備型だからそこに疑問は持たない。このようにしてどちらも守るという試合は、W杯史上もっとも退屈かもしれないゲームを生み出した。海外のあるメディアは

「ペンキが乾くのをじっと見守っているようなゲーム」

と評した。

言い得て妙。そんなサッカーは観たくない。われわれは中南米の人間じゃないんだから。

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