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菅野所長のエッセイ:イワシとイルカに学ぶ新年

 明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

 お正月は自分でも呆れるほどだらしない生活を送ってしまったが、まあ予定通りではあるので、今週は可もなく不可もなくで始めている。つまり、仕事となると気持ちはさほどだらけない。
休みのときはいいが、一般的には緊張感がないといろいろと困るようで、秘密保護法に護られる政策決定というものも、政治からさらに緊張感を奪ってしまうということだろう。辺野古移転の経緯も保護法成立と連関しているのだろうが、裏に何があったのかをわれわれは永久に知ることができない。「金で沖縄を売った!」という県民の叫びも虚しい。

 ある水族館では、本来大群で泳ぐイワシの中に単独行動をするのが出てきたことを憂慮していた。イワシの大群のトルネードは水族館の大きなウリなので、そのサイズが小さくなると困るわけである。この理由はひとえに捕食者のいない緊張感のなさからくるものである。そこで水族館は一計を案じ、クロマグロを同じ槽に投入。するとイワシたちはまた緊張感を取り戻したようで、単独行動のイワシが減ったという。ま、人間の側の勝手な考えなんだけど、ひじょうにわかりやすい事例だ。

 人間社会でも同じようなことが起きる。昔に比べて人と人とのつながりが薄くなったとよく言われるわけだが、バブルの頃から顕著になったこの現象もまた、生きることの緊張感や危機感がなくなり、他人と一緒にいなくても平気なんじゃないかととくに若い人が感じるようになったためだろう。しかし、それは長くは続かない、見せかけの豊かさだったわけで、現在では単独者であることは、群れからはぐれたイワシやヌーのように、補食される危険が数倍も増してしまっているのである。

 また、水槽の床に仰向けになって寝てしまうイルカ(牝)も出現した。イルカは、泳ぎながら、脳の半分を交代で休まて睡眠を取るらしい。ペットの猫や犬にはこうした寝姿が見られるが、本来的にはあり得ない事態である。

 これに対しても水族館は知恵をこらし、別の親子イルカを一緒の水槽に入れた。すると、このイルカは子育てを手伝い始め、そういう睡眠は取らなくなったらしい。何でもイルカには群れの子どもを皆で世話するという習性があり、このイルカも実母より熱心だということだ。そういえば、ライオンもそういう習性だったな。
 こちらは単純なイワシと違ってほ乳類。ただの緊張感ではなく、人間で言う「やりがい」というものが与えられることが肝心だったようだ。

 こうしてみると、日本の政治家はイルカ的ではなく、イワシ的な存在と考えたほうがよさそうだ。ほ乳類なのに、とても原初的。彼らを動かすものは、食べ物(金)であり、緊張感(罰)なのである。その緊張感がなくなれば、ただひたすら自らの欲望に突き進むだけになる。

 新年早々、いい話題ではないな。きっと競馬のことが影響しているのだ。
 新年の競馬だが、今年初めてのレース、すなわち、1月5日の中山と京都の第1レースをどちらも当ててめでたいスタートだったのだが、その後はじり貧もじり貧、東西の金杯も外れ、WIN5もまたしても4レースまでしか当たらない。こりゃやばい。何とかしないといけないと思うのだが、それもまた競馬で何とかしようかと考えるところがギャンブラーの悲しい性である。
 しかして、今年もまた、ダメダメな人間としてダメダメな一年を送ることになるのだろうか。その確率は、W杯で予選を通ることと比べてどうなのだろうか。鍵は初戦のコードジボワール、さすがにドログバは全盛期を過ぎたものの、トゥーレ兄弟などがいて驚異の存在だ。

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