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菅野所長のエッセイ:アンネの涙

 アンネ・フランク関係の本が激しくアタックされている。被害マップを見るとどう考えても、私の住む西武池袋線沿線が怪しい。被害の規模から見て複数犯か、ネオナチかぶれの若いやつなんだろう。要するにただのバカなんだが。でも、こういう動きの背景はわかりやすい。

 このところの首相の答弁を見ても、主体的に戦争ができる国にしようという意図があからさまなわけで、確かにどこかの国に操作されるよりは、それが自由独立したものなのだろうが、はたして国民はそういう国になりたいと思っているのかどうかは疑問だ。

 現憲法下でもかりにどこかから攻撃された場合には反撃することはできるのであるから、首相が目指しているのは、攻撃はされなくてもこちらから戦争を仕掛けることができるようにするということである。確かにそれも自主独立した国のあり方のひとつかもしれないが、重ねて言うように国民がそれを欲しているのかどうかである。自分の好みで勝手に舵を切られてはたまらない。首相周辺からの相次ぐ失言もありつつ、こういうウルトラな人たちの共通な傾向とは、立憲思想を軽んじ、手続きを軽んじ、自分と違う考えは排除することだ。そしてあたかも、軍部が政治を掌握しているような状態ににじり寄っていくものなのだろう。僕がスーツを着た軍人と揶揄するのはこういうことだ。安倍・石破の軍事ラインは最強最悪だな。

 近年の若者の間にもそれと同じメンタリティが広がりつつある。たぶん彼らは残念ながら情報のリテラシー、コミュニケーション能力など、時代を生きるに必要な能力をうまく獲得できず、それゆえに現実生活にフィットすることもあまりかなわず、自身の生活、人生にとてつもない不満を抱いているのであろう。そのようなフラストレーションを安直に発散する手段として、偏執的な挙に出る。テロですね。オウムと同じで、パターンと言えばパターンだが、都知事選で田母神氏に投票するようなこととは違って、まさに妄挙と言う他はない。
 ちなみに、ドイツを中心としたヨーロッパユースのネオナチへの傾倒もまた、移民に仕事を奪われたと解釈する貧困層によるものだ。

 ま、そうでなくても、いつの時代も若者は欲求不満で愚かでバカである。僕などもその典型だった。自分は正しいということにかたくなにしがみつこうとしていた。ひどいものだったな。思い通りにならない人生、でもそれをどうしていいのかわからない。
 ひとつ違うのは、僕はあるとき自分がバカで愚かだということを悟ったことかもしれない。ということは、内省力はそこそこあったと。そしてそのために必要な良性の自尊心がわずかばかりでも残っていたことかもしれない。
 コレステロールや腫瘍と同じで、プライド、自尊心にも良性と悪性がある。悪性は厄介で、今回の事件の犯人もかなり悪性のプライドに冒されているということだ。

 自分なんて自分が思うほどたいした人間でないんだということを受け入れるのはつらいが、しかし、同時に楽になることでもあったような。そもそも人生なんて思い通りにならないものなんだよね。それを当たり前の理と悟るならば、思い通りにならないことに対して、すごくがっかりしたり、絶望したり、怒ったりするのは過剰反応でしかない。肝心なことは自分への誇大な幻想から解放され、自由になることだが、どうしてもそれができない人が増えてしまった。

 自分がそんなだったから、まあ、なんか派手なことをして世間の耳目を引きたいとか、あっと言わせたいいう思いも理解できるがね。けど、本を破くなんてスケール小さすぎるし、しかも卑怯な感じ。そんなことをしている自分を恥ずかしいとは思っていないのだろう。まさに、そこが分かれ目だ。つまり良性のプライドを持ち合わせているかどうか、自分と向かい合うことができるかどうかである。

 自己嫌悪におちいることは必要な精神力である。それは内省する力があることの証左だ。内省ができない人間とは、自分を外から見ることができない人である。すなわち他者の捨象。そうやって自分という繭に閉じこもり、その中で自己を正当化する作業に没頭する。他者を捨象してしまえば、自分を評価するのは自分自身以外にはなく、その結果自分に都合の悪い要素は切り捨てられ、自分のことはあらかじめの免責事項となる。これがナルシシズムというものの位相だ。
 他者を捨象してしまえば、あらかじめ自分は正しいのであるから、うまくいかないのは当然自分以外のせいである。それは他の人間、家族や学校、そして社会であると帰結する。それにアタックするのは正当であると。
 もとを質せばただの私憤。それをあたかも公憤であるかのように、思想上のことであるかのようにすり替えているのが、こうしたテロとかヘイトスピーチの内情ではないかな。そうじゃない場合もあるにはあるんだろうがね。

 しかし、これが捕まったときには、どういう刑罰が待ち受けるのだろうか? ぜひ裁判員裁判で決してもらいたいところである。

 それにしても、このような空気をつくりだした陰の犯人が先の民主党政権であったことも間違いない。彼らの言葉もあり方もこの国の若者にはまるで届かなかったし、あきらめ、失望しか与えなかった。もはやリベラルなどとっくに死語であって、時代は灰色の雲だけが広がっていくだけのようである。ま、リベラルだろうが保守だろうがそんなものはどうでもいいので、とにかくナルシシズムの罠に陥らないことだ。

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