菅野所長のエッセイ:今週の疑問

 3月。暖かかったり寒かったり。三寒四温の季節であるなあ。
コンビニに行ったら、ホワイトデーの商品がならんでいる。そういえば、ちょっと前はバレンタインのチョコが同じ棚にあった。

 ホワイトデーとか言い出したのはいつのことだったか? まったく商魂たくましいものだ、こんなものに誰が乗るのだと思っていたら、世の中ではすぐに一般的になったようである。でも、僕には関係ありません。チョコをもらえないから関係ないのではなく、そんな商法に乗るのがどうかしていると思うからである。

 ところが、これを普通に「お返し」ととらえると、それをしないのは人としてどうなのか?という空気も漂ってくるから厄介だ。何かをもらったらそのお返しをするというのは、日本の民族性に見事にマッチしたということなのだろう。お返ししなければならないという強迫観念はわれわれのお得意である。いつの頃から、バレンタインのチョコは、まさに「贈与の一撃」となって世の男性に襲いかかっているわけである。(おおげさかな?)

 つまり、そういう強迫観念が生じてしまうのも、これが「義理チョコ」だからである。「義理」だからこそ、それに報なければいけない、となる。バレンタインデーが定着してから、かなり時間が経ってのち、このホワイトデーなるものが出現したのも、これが本来の意味から離れて(とは言っても、それも商魂そのものなのだが)、「義理」となって盆暮れのお遣いものと同じようになったからだろう。

 バレンタインにチョコをあげるのが始まったのは、僕が中学生くらいのころではないか。当時は、女の子にとって大変な一日だったと記憶しているが、その日は男女ともに大いにときめいていた。高校に進んだ頃には、「あんなのは子どものやること」という雰囲気で、誰もそんなことはしなかった。チョコ進呈は思春期成り立ての頃には、言葉が要らない、都合のいい愛の告白だったが、いい大人はそんなことくらい直接やるものだとみなが思っていたのだろう。たぶん。
 時代は移り、いまは99%が義理チョコだから(僕の場合は100%)、何もときめかないし、面白くもないだろうに。廃れているのか、あいかわらずなのか、ま、どっちでもいいことだが。

 まったく話は変わり、昨日のニュースで、原子力規制委員会が、福島の子どもの甲状腺検査期間を短縮するという考えを打ち出した。これはいったいどういうことか? もう放射能の心配はないからやめる、というわけではなさそうで、逆に、甲状腺の異常がかなり見られるからではないか。もうおかしすぎる話。
 1 そもそもこの検査は生涯にわたってやるべきという趣旨の元にあった。2 検査結果には不審な点があるとされていた。 3 その後も甲状腺の異常例が継続している。
 昨日、福島の海でとれたアイナメから基準量の5000倍のセシウムが検出された。除染は進まず、原発事故の問題は何も解決していない。どうも福島から国民の目をそらそうという魂胆があるのだろう。

 こんな状況にあって検査をやめるというのは、真実を明らかにしたくないからに違いない、と誰でも推測できるところだ。原発再稼働、さらなる開発推進をするためには、原発は危険だという世論を作らせないことが肝要と、自民党、電力会社他の企業はその狙いを隠そうともしないな。政府翼賛の大新聞も大きく取り上げずにそれをフォローする。ジャブジャブの補正予算に関しても何の批判もしないし。ま、定期購読はやめてよかった。

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