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再生の町

 昨日は、日航機事故から37年経った日。実は友人の御尊父がこれに乗っていて、その通夜に行った。その日は精神科のクリニックに勤めている日で、面接が終わってから行く予定だった。もう何回も面接を重ねているクライエントさんが、僕の黒っぽい服装を見て「やっぱりお葬式に行くんですか?」と尋ねた。聞けば、彼もこれから通夜に行くのだと言う。なんと行き先は同じで、私の友人とは以前の同僚だったらしい。当時は世の中はこういう偶然もあるのかと思ったが、年齢を重ねるとこうした偶然は世の中にあふれているようにも思う。

 しかし、あれから37年か。突然ニュースが「日航機が消息を絶ちました」と伝え,世の中は騒然となった。大変な出来事だったな。僕の記憶では、国内のニュースでこんなに騒然としたのは、政治事件を除いては、吉展ちゃん誘拐事件以来だったかもしれない。

 そんな昨日と一昨日は、僕は友人O氏とゴルフで伊豆のほうに行っていた。が、あまり天気が良くなくて悲惨だったかも。当初は2日とも35度超えの猛暑日で、そっちを心配していたのだが、1日目は雨模様。でもけっこう涼しかったのがよかった。

 夜は伊東の町でうまい魚を食べる予定だったが、高くてまずいという最悪の店に入ってしまって早々に退散。雨の中を傘もなく他の店をウロウロと探すが、結局いい店はなくて、中途半端なイタリアンへ。やっぱり初めて行く町は難しい。

 翌日は天城高原のゴルフ場に行くが、南西海上に発生した台風8号の影響もあるのか、ものすごい雨と風。半袖では寒い。1ホール目を終わって2ホール目の途中で中止にしようとなった。名匠井上誠一の設計で楽しみにしてたけど、まあしかたない。こういう場合にゴルフ場は公明正大で、3ホールに満たないと料金は取られないルールとなっている。ちなみに3ホールもやらずに中止になったことはこれまで3回。そのうち2回はO氏とである。かれは雨男としてますます自信を深めた様子であった。

 で、10時過ぎくらいに標高1000メートルの天城高原を発ち、熱海に降りる。最後の望みは熱海でうまい魚を食べることで、これはまあまあの店を見つけたのでよかった。本来は、新幹線待ちをしながら熱海で遅くまで飲もうと思っていたが、2時くらいには東京に帰る羽目となった。

 しかし、最近の熱海は活況である。新幹線が止まるたびに、駅前のアーケードは人であふれかえる。まあ平日はそんなでもないのだろうが、休みの日だけでほとんどの店は採算が取れるだろう。

 友人O氏は、会社の慰安旅行でしか来たことがないと言っていたが、それは映画「東京物語」での熱海のイメージというものだ。いまはほとんどが若い人、それも個人旅行だ。それというのも熱海出身の人たちが、熱海に戻って立ち上げた熱海再生のプロジェクトの賜物であろう。そこでまずもって考えられたのは、温泉と宴会を目的とした団体旅行依存からの脱却だった。

 まあしかし、正直なところ、熱海の何が若い人を惹きつけるのか僕にはよくわからない。温泉も湯量が多いくらいで大したものではないしね。海もあまりきれいじゃないし。たぶん若い人は日帰りも多いのではないか。でも、東京から新幹線で45分。千葉の海よりも近いし、町もでかい。若い人がたくさん来るという事実がさらに若い人を呼び込んでいるという好循環を産み出しているのかもしれない。なんとなく、原宿のような感じ?

 しかし、どうであれ、こうやって再生させた手腕は見事としか言いようがない。

 再生と言えば、僕の声の再生は遅々としている。この2日、たくさん会話を試みたが、なかなか伝えるのは難しい。やっぱり、ハ行が最初に来ると、ア行にしか聞こえないようだ。文章を朗読するのは難しくないが、実際の会話は難しい。あの声帯全摘の女子学生との会話でも、僕は相当ヒアリングに苦労したのだろうか。よく覚えてないのでねえ。

 それからずっと乗っている車だったが、もう廃車にしようと思い立った。こちらは、メールでだいぶ片がついたので早ければ来週には手続きが済むかも。買ったのが1994年。28年も乗ってたわけね。ほとんど仕事もしないのに金ばかり要求するどら息子みたいなものだったな。

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