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菅野所長のエッセイ:現代の水争い?

 東京は小金井市のゴミ問題はなかなか考えさせられるところである。
発端は、市長が自分のマニュフェスト的なビラに、近郊の市にゴミ処理を頼んでいる現状を「20億円の無駄使い」と記したのだが、この「無駄使い」という表現に、ゴミ処理を引き受けている他の市が怒ったというものである。せっかく善意でやっているのにと。で、もう小金井のゴミ処理はしないと。

 この問題を収拾できない市長はわずか半年の任期で辞任を表明。しかし、あと2週間くらいしか処理ができないわけで、それ以降のゴミはいったいどうなるのか? 市民としてはきわめて深刻な事態になりなんとしている。

そもそもは、それまであったゴミ処理施設が老朽化で2007年に使われなくなったので、近郊の市にお願いするしかなかったのだが、僕が思うに、老朽化で使えなくなるのが分かっていて何の手も打たなかった前市長の責任の方が大きいはずである。
 現市長としては、そのような無策な前市政に対する批判として、年間20億も外注にかけるのはおかしいと言いたかったのであろう。しかし、これは市民向けの言葉とはなり得ても、確かに善意でやってくれている他市に向けた言葉としては適切さを欠いた。それは間違いない。けれども、他の市は他の市で何とも狭量な話ではないのか。

 と、ここで思い出すのは、もう20年くらいは前の話だったと思うが、吉野川の水利権の問題。当時、雨が降らない日が続き、とくに香川県はひじょうに深刻な水不足に陥った。ときの知事は、香川にも流れる四国最大の河川である吉野川の水を分けてもらえまいかと、その水利権を有する徳島県知事に頭を下げて頼んだ。しかし、これを徳島県は拒絶。

 当時、僕はびっくりして何でそうなるのかと思ったが、調べてみると、この吉野川の水利をめぐる対立は遙か昔から脈々と続いているのだった。しかし、そんな水争いなんて昔の話だろう、いまはそれこそ水に流してはと思うのだが、今の時代でも徳島側は絶対に譲らない。その狭量さにも歴史があるのだなあと、半ば呆れ、半ば感心したのだった。

 その水が、下手をすると東京ではゴミになるのでは。よくわからんが、狭量な他市の市長は、記者上がりの小金井市長の考え方とかやり方が気に入らないのかもしれない。とくに多摩地区でさほどに根深い対立図式なんてあるはずもない。とそこで生まれ育った僕は思うので、あるとすれば最近の話でもあり、だとしても、それは前市長に向けられるべきだろうし、ただひたすらその狭量さに呆れるのみである。

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