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菅野所長のエッセイ:欲望と自由の狭間

九州から帰って1週間はとうに過ぎ、ようやく疲れが抜けつつある。まだ少し階段がしんどいが。長いなあ。たぶんこの年になると、数泊の旅行が一回徹夜したくらいのダメージになるのかもしれない。もっとも自分だけかなあ。いつも他の人よりも疲れたと言っている気がする。ひじょうに情けない。

火曜日、建築・設計のプラニングをおもにやる会社に行って話をしてきたのだが、職場の雰囲気はひじょうにオープンな感じで、よい組織づくりをしていると思った。いまどきこういう会社はなかなかない。私などが啓蒙する必要もさほどないとも伝えたが、さらにもっと良くしたいと考えているらしい。こうした会社は生産性が高いに決まっている。
上層部以下、社員の志が高いんだろうね。つねに満足せず、さらによい仕事をしていこうとみなが考え、そのためには、僕のような稼業の話も貪欲に吸収しようという姿勢がうかがえた。

そうした人たちに触れると感動するね。なんだかその夜はなかなか寝られなかったもん。
あんまり眠れないので、夜中起き出してあるアイディアをメモっておいた。今週は毎晩のようにそれやってたなあ。

そもそも僕が関心をもってやっていたのは、普通の心理学から少し離れての集団にかんする考察だった。わかりやすく言えば、理想的な集団とはどういうものか、それを考えるために当時全国にあったさまざまな共同体に出かけ、そこで同じ生活をし、その中から観察し考えた。覚えているだけで、北海道、福島、宮崎、鹿児島、あと長野もあったな。おっと、岐阜というのもあった。外れだったが。ほとんどは人里離れたような山の中が多い。

で、結局は理想的なものなど見つからない。それはやはりユートピアなのである。もっともこの場合の「理想的」というのはどういうことかと言うと、つまりは自分が居心地がよいと感じられる集団なのである。

中国やソ連が示すように、コミュニズムこそが実は専制や独裁を生んでいくことはわかっていた。かつての日本の共同体は、これに対して「個的な自由」を取り入れようと試みたが、今度は集団の凝集性が弱化してしまう。集団を集団として維持するために今度は「個的な自由」を制限することにもなる。するとさまざまな制約が自分たちを包むようになりその息苦しさに耐えられず離脱するものが出てくる。小さな集団も国家のレベルでも、だいたいこういった問題が循環している。

先日、安倍首相が国会の所信表明の場で、警察や自衛隊に拍手することを促し、自民党議員がスタンディングオベーションするという異様な光景があった。まるで中国や北朝鮮である。独裁的な事情はこのような出来事を生む。あそこは国会であって党大会ではないのだが、ああいうことを平気でやってしまう感覚は、僕が昔いくつかの共同体で味わったものと似ている。無自覚なんだよね。心理の学会なども同じ、どれもみな、要するに私物化されていく。そういった堕した精神性に触れるのが嫌でたまらないので、僕は学会から離れた。

そういうものは政治の世界でなおひどい。朝番組で、他を圧してちゃんとしたニュースショーを展開するのは、テレ朝の羽鳥慎一が司会する番組だが、今朝の特集には少し驚かされた。
豊洲移転問題で、2011年当時、移転賛成の自民公明に対し、反対派の野党は一人の差で勝っていた。しかし、当時の民主議員である花輪某が、まず連絡が取れない失踪状態となり、数日後の議会に自民議員に付き添われて現れ、賛成派に回ったのである。この結果、豊洲の移転工事の設計議案が可決、事実上、移転が本決まりとなってしまう。それが3月11日。大震災の約1時間前の出来事。この事情により、みなこの出来事をまったく知ることができなかった。

その後この花輪議員は、何と4月に世田谷の区長選に出馬。このとき自民都議団の推薦を受け、石原都知事が応援演説をしていたというのである。まったく分かりやすすぎる。区長選出馬と推薦を交換条件に寝返ったのだ。さすがに、世田谷区民はこの出馬を訝しく思ったのだろう、結果は落選。しかし、落選したがゆえに、この出来事はあまり話題にならなかったのだ。

まあ、金や何かでの変節、裏切りなんて陳腐なことは政治ではよくある。裏切り者とののしられる覚悟があるなら、心変わりなどしてもいい。どうせそういう奴はハナからたいした政治理念などなかったのだろうし。それよりも、この事実をテレビのワイドショーが暴き、それまでわれわれは知らなかったということがショックだな。大マスコミが当てにならない今、文春やTVのほうが頼りになる。そして、こうやって次々に真実が明らかになるのはいいが、はたして小池知事が負けていたらこうなってはいなかったろうと思うと、それもまた恐ろしい。豊洲の地下からはついにベンゼン、ヒ素が検出。これも小池知事肝いりの調査だから発見されたことである。
国会では秘密法、安保法制がなり、そして改憲が控える。選挙では何も言っていなかったことが次々に国民のコンセンサスもなく決まっていく。首相はあいかわらず「経済が最優先」と煙幕を張る。
五輪のバカみたいに肥大した予算案も、組織委、JOC、そして国も絡む体質の問題からきていることは間違いない。ここにもメスを入れなければならないなど、東京都知事はいま日本でいちばん大変な仕事だろうが、このどうしようもない腐敗体質を快刀乱麻に切っていく姿は今のところたいへんにかっこよい。
それはそうと、今日は法研の70周年記念の懇親会がある。ネクタイ着用と聞いて、家の中を探したのだがどこにも見つからない。冠婚葬祭以外でネクタイをしたのは、20年前、TCCの設立パーティくらいだ。何しろ、小学生のときに「将来何になりたいか?」という課題がでて、いくら考えてもわからなかった僕がやっとたどり着いた答えは「ネクタイをしなくてもいい仕事」だった。あのときはふざけていると思われて担任から注意され、ひどく心外だった。僕はただ「個的な自由」を欲していたのに。
そういうわけで今日は20年ぶりのネクタイだ。そういう時間は自分が自分でなくなるような気もするが、2時間ほどの辛抱だ。まあ大したことではない。飛行機で禁煙するくらいのものだな。

おっと、そういえば日曜は久々のGⅠスプリンターズステークスだった。断然人気の①ビッグアーサーを負かせるとすれば⑮ミッキーアイル以外にはいないだろう。この2頭からの3連単マルチと3連複、3連単フォーメーション。相手は⑤シュウジ、⑦スノードラゴン、④ソルヴェイグ、⑯ネロ、⑪ダンスディレクター、⑬レッドファルクスだ。ミッキーアイルがこけるのも想定すると、①から⑦⑪を相手中心にして各馬に。

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