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菅野所長のエッセイ:悔いのない人生

何だかんだ言ってもやっぱりオリンピックは面白いなあ。ふだんは地上波を見ないが、BSと駆使して観られるだけ観てしまう。陸上が始まってないにもかかわらずだ。

日々楽しみも癒しもない生活、ツールがない今はオリンピックが心の支えだ。

予想外の日本の踏ん張りだが、圧勝と言えたのは、男子柔道73キロ級の大野と女子水泳200M平泳ぎの金藤だな。体操の内村の個人総合はどうひいき目に観ても負けてたような気がする。まああれが採点競技というものの特徴だし、しかも、ああいうことがあったからと言って内村の価値が下がるわけでもない。とくに最後の鉄棒の演技はほんとうに見事なものだった。

前にも言ったが、日本体操協会の昔のすばらしい英断があり、その後内村のような絶対王者が生まれ、白井が生まれ、団体の金もある。ほとんどの組織は目先のことを追求し、長期的な視野を持てないわけなので、ほとんどの選手たちは自立と自律の自覚を持って日々励むしかない。それを思うと、今回のオリンピックで僕が最も評価しているのは水泳の金藤理絵だ。今のところ。

10代から20代そこそこが中心の女子水泳にあって27歳、4年前、選手としては充実期に当たるはずなのに、ロンドンの代表さえ漏れていた。そして平泳ぎには渡辺香生子という伸び盛りのスターがいた。この渡辺と比較するとスポール選手としてのステージがまったく違うことがわかる。200メートル平泳ぎにおいて、渡辺は15歳で五輪出場、準決勝まで進み、去年は18歳で世界選手権優勝を果たしている。金藤はいつも8歳下の渡辺の後塵を拝していたのだった。

ロンドンで選に漏れ、本人は引退を考えたことだろう。そこから立ち上がり、今回五輪で圧勝するまでの過程はどれほどのことだったろうか。一方渡辺は、レース後のインタビューのたびに泣いてしまい、スポーツ選手としては驚くべきメンタルの弱さを露呈した。それは悔し涙というものではなく、その辺の女子中学生が泣いて許してもらいたいという種類のものだった感じがある。そのあまりのメンタリティの脆さに、金藤との決定的な違いを見た。金藤はインタビューでまったく泣かず、喜びを爆発もさせず、呆然としているかのように淡々としていた。

彼女にとって、リオでの金メダルはたぶんゴールではなかったのではないか。4年前、厳しい競技生活にあらためて入っていったその動機とは、大まかに言って「このままでは悔いが残る」ということではなかったかと僕は推測する。たぶん彼女にとって、悔いが残りさえしなければ、結果をどういうものでもよかったのかもしれない。そして、僕は何よりもそういう生き方が好きなのである。

柔道とか、体操とかは日本のお家芸的な種目だが、今回びっくりしたのはカヌーで銅メダルがあったことだ。これは画期的。陸上の100,200でメダルを取るようなものではないか。きけば、19歳のときにスロベニアに渡ってカヌーをやっていたんだそうだ。それもすごいな。
そういえば、今回の目玉は、陸上男子100メートルでのボルトとガトリンの対決ではないか。これがいちばん楽しみ。ボルトはまたもや3冠なるのか? 200はいけそうだが、100とリレーは危ういような感じだが、はたして?

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