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菅野所長のエッセイ:予見という壁

この1~2週で思ったのだけれど、裁判や判決というのは難しいなあということ。東電幹部の無罪判決は、刑事罰はなかなか問えないんだろうと、法の理からして予想していたのだが、そもそも法の理というのが難しい。骨子としては、あれほどの津波が来るとは予見できなかったから無罪ということだ。予見ということを中核に置けば、千葉の台風で、ゴルフ練習場の倒壊による被害も、あんな台風が来るとは予見できないから無罪となるんだろう。

それは納得いかんぞという考えは当然あるわけだが、予見という言葉の前には無力なのである。
予見というのは何なのだ。調べてみると、明治時代の民法に「予見」はあらわれる。現在では709条。そこでは、「過失」とは、予見可能な結果について、結果回避義務に違反していたことを指す。で、東電の判決の根拠は、まず予見不可能だったということ、加えて、予見可能であっても結果の回避は不可能だった、したがって東電には過失はないというものである。条文そのままだな。                                                                                                                      しかし、どうなんだ。
裁判で明らかになったのは、事故の何年も前から、東電は福島原発に危険が及ぶことを相当意識していたということ。調査チームは過去のケースに基づき、およそ15メートルの津波が発生すると「御前会議」で報告している。結局この報告は無視されたわけだが、15メートルという数字はほぼピタリと的中である。結果からすれば「予見」していたと言えなくもない。しかも、専門的な職業の場合には、結果回避義務のレベルは、一般よりも高度になると民法には明記してある。

すなわちこの判決では、原発という、一般とはかなり異なる事案であるにもかかわらず、ごく一般的なレベルでの過失責任について結論を出していると言えよう。まあ、例によって国が守ったということだな。モリカケと同じね。

でも、千葉のゴルフ場の件は国はかかわってこないから、この先(の裁判)が興味深い。
予見はできないということには違いないが、争点はそこではなくて、他にも幾多練習場がある中で、この練習場だけが倒壊したとなれば、建築の保安、点検、などに瑕疵があったという論が成り立つだろう。でも、補償するほどの金はないだろうから、有罪となっても被害者は浮かばれない。そのとき国、県はどう動くのか。そこが動かなければ、寄付を集めるくらいしかない。

日曜は久々のGⅠスプリンターズステークス。⑧タワーオブロンドンと②ダノンスマッシュが人気だが、逃げた場合の⑦モズスーパーフレアが侮れない。この3頭に、⑨ディアンドル③セイウンコウセイあたりかな。

 

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