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菅野所長のエッセイ:あれから5年

大津地裁が高浜原発の稼働差し止めとしたが、隣の県が決定したのはなかなか画期的なことではなかろうか。そもそも高浜は「40年ルール」を無視しているわけで、原発にかんしてはどんなルールを作っても無意味だと思っていたところに釘を刺した。これの安全性にお墨付きを与えた規制委員会というのは、規制をするのではなくて、無理くりに稼働させるためのアリバイをつくるものであることも明白だしね。

ま、ルールというのは遵守の精神があってこそで、それが全然ないところでは、たとえば政務調査費を透明化しようとかのルールもできるわけがないな。

あれから5年。復興が進んでいるところもあり、進んでいないところもある。とくに福島の原発はひどいわけだが、その後の検証によると、「東日本壊滅」に至らなかったのは偶然の重なりによる産物、かなりの幸運だったということらしい。「東日本壊滅」というのは、原発から約250キロ圏内は人が住めなくなるというもので、それには東京もすっぽり入っている。70年前の日本に戻るようなものだな。まことに原発はハイリスク。なのにせっかく作った「40年ルール」を政府と電力会社が一体となってないがしろにしようとするのだから、差し止めも当然と言うべきだろう。
彼らにとって安全はさして重要なものではなく、つまりは人の命も同じ。と、浪江町の町長も「人の命を何だと思ってるんだ」と言っておったぞ。

一方で、宮城県石巻の隣の女川にも原発がある。こちらは何とか震災の被害から耐えたわけだが、福島が東京電力、女川は東北電力ということに決定的な違いがあった。というのも、今から1200年前頃に貞観地震という5年前と同じくらいの地震と津波が東北を襲ったわけだが、女川に原発を作る際に東北電力はこれについてちゃんと調べ、そういった可能性を考慮していたようである。一方、福島というと、報道でも明らかなように、震災の前にその情報を知らされていたにもかかわらず何の対処もしなかったわけである。

これについてある人がひじょうに的確かつ興味深い分析をしている。東北電力の人間は、とくに三陸では、昔から津波などの怖さを知っていてそれが津波地震の想定につながっていたと。地元意識、自然への畏怖がそこにはあった。しかし、福島は東京電力、ほぼ東京、首都圏の人間であって、彼らは福島への愛着もとくにないよそ者である。工事が終わればいなくなる人たち。たぶん工期の間だって週末には東京に帰っていただろう。そういう意識の違いが大きかったのではないかということだが、結局、よそ者がどこかに何かを作る、立てるとなると必然的にこうなってしまう可能性も高いということだ。
こういう分析に触れると、前に新潟県知事が、東電の社長は原発敷地内に住んでみろと言ったのもさらに同感できるだろう。

原発の問題はさておき、女川は、人口比にしたら最も死者を出したところでもあって、その復興もなかなか大変であると思われる。しかし、ここの復興プランは実に賢明で、民間主導、行政ではない。
何でも復興にかんしては、60歳以上は口も手も出してはいけない、50歳以上は口だけなら出していいとかいうルールもあるらしい。つまり若い奴にやらせると。町長自身が若いしね。神戸での復興視察などから、結論を出し、元に戻すのではなくて、前よりも町に人を呼び込むという方針、攻めの復興方針を立てた。神戸での失敗地区を見て、元に戻すというコンセプトでは前よりも廃れてしまう危険があると。そこでまず防潮堤はつくらない、個人商店の寄せ集め的な商店街にはしないなどといったプランのもと復興事業が行われている。なかなかいいよね。
バカ高い防波堤や防潮堤を早々に造ったところもあるが、せっかくの景観が台無しではまず外から人は来なくなるだろう。行政主導だと、ただ道をつくる、ただ箱ものをつくるというだけの復興になる。いわばハードだけ。肝心なソフトについてはまるで創造力を持ち得ない。

最大のソフトとは人であり、軍事費や公共事業費ばかりを増やしてもしかたない。それよりも大事なことがあるだろうに。それを受けての「保育園落ちた」騒動だが、これについては国会質問でネットの匿名資料を使った山尾議員のほうにまず落ち度がある。大事な問題提議ではあるのだが、いちおうそういう資料は使わないというのがルールだよね。だから、自民側がヤジを飛ばしたくなるのもわからないではない。ま、ヤジ自体が低級ではあるのだが、こういうのも罰則を設けるしかないのではないかと思わせるところが情けない。

それに政府は子育て支援に力を入れていると主張するが、ほんとに力を入れているのは憲法改正と軍需産業だからな。アベノミクスが立ちいかないからそっちにシフトしていくのは、首相にとって経済的にも思想的にも一石二鳥。でも、それを進めていくと、アメリカのように世界が平和になると困る国になっちゃうんだよね、必然的に。もし世界に平和が訪れたら、軍事費60兆円超のアメリカは即財政破綻だもの。トランプが人気を博する土壌は十二分にあるわけよ。

ま、しかし、結果的に、あくまで選挙用のポーズだが、待機児童問題に関心を向けさせただけよかった。が、SNSの匿名ネタを資料に使うのはやっぱりどうかと思う。

ちょっと前に自転車での事故で老人を死なせてしまった大学生に、執行猶予はつくけどけっこう重い判決が出たことがあった。日本は道が狭いんだから自転車はルールを守らないと危険物である。スマホはおろか、イヤフォンで音楽聞くのも厳しく罰しないとね。以前、飲酒運転の罰を厳しくしたらけっこう減ったはずだし。昔は飲酒運転なんて当たり前だったが、以後、僕の周りでも誰もやらない。

もちろんスマホを見ながらの歩行もかなり危ない。2ヶ月くらい前に、中国で若い女性が岸壁から落ちたところの監視カメラ映像が流れた。この人は冬の海で溺れ死んだ。
最近では、スマホを見ながら歩いている奴を狙ってる当たり屋がいるらしくて、チンピラか暴力団関係だと思うが、「医療費」を脅し取るわけだ。そういう目に遭いたくなかったら歩きスマホはやめよう。そうじゃなくても、自分が加害者になることこそ避けなければね。

と、こうやってルールについて言ってはいるが、僕自身はそういうものに縛られるのが当然好きでない。小さい頃からアウトローもいいところ。
でも、昔、何もない島で暮らしてみてつくづく思ったのは、交通量のない道路では信号が要らないし、交通ルールも不要だが、そうでないところでは必要だということである。思想信条を縛るようなルールはイヤだが、社会にいる以上は守らないとうまくいかない根本のルールがあるというだけのことである。それは自由を奪うものではないではなくて、より快適に多くの人が暮らすための条件だという、これまた当たり前のことである。インドとか中東に行くと、あっちの連中はほんとに交通ルールを守らない。だからメチャクチャな渋滞が起こり、怒号が飛び交う。あれを見てほんとに呆れたものだった。やはり遵守する気持ちがなければどんなルールも無意味だ。

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