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風の中のジミー

 前回、トヨタ車のすばらしさに触れたが、僕はホンダ派だったので、実はトヨタの車を買ったことはない。そもそも車が好きというわけでもないので、車選びではイメージや見た目が先行していたのである。そうやってずっとトヨタ以外の車に乗っていたわけだが、でもいちばん良いのはトヨタだなとは思っていた。9月に陸上を観に名古屋に行くときには、空いた時間にトヨタ博物館に行く予定でもある。それと「うな富士」で”アオ”のひつまぶしを食ってみたい。ああ、それと名古屋駅新幹線プラットフォームのきしめんも久しぶりに食べてみたいな。僕は名古屋メシが大好きなのだ。

 さてじゃあ何でトヨタの車がすごいのか。その答えは簡単。日本人が造るからだ。トヨタに限ったことじゃないけどね。やっぱり、ものづくりにおけるこだわり、完璧を求めるこだわりというのが日本人は抜きん出ているのであろう。

 先日、ケーブルTVである音楽系のドキュメンタリー映画を観て、つくづくそれを思った。「MR.JIMMY レッドツェッペリンに全てを捧げた男」という映画である。

 中学生のときにレッド・ツェッペリンのライブ映像を観た桜井少年は、以来、ギタリストであるジミー・ペイジを神と崇め、すべてを模倣していく。ジミー・桜井と名乗り、ギタープレイはもちろんのこと、髪型、体型、衣装、身体を反る角度等々、あらゆるものを完全に再現することに人生を賭けるのである。そうやってコピーバンドを結成して演奏活動を続けていくうちに、その評判を聞きつけたジミーペイジ本人がお忍びで日本を訪れ、ライブ会場に現れるという奇跡のようなことが起きる。このときから桜井は、ジミー・ペイジ公認のものまねギタリストとなる。

 この出来事を機に、桜井は渡米を決意し、アメリカでオーディションなどをしてツェッペリンのトリビュートバンドを結成する。他のメンバーもそれぞれツェッペリンを愛して止まないのではあるが、ビジネスよりもひたすら完全再現を重視する桜井のこだわりに対してみな辟易としていき、バンドは長続きしない。桜井が妥協してくれることを願う他メンバーと絶対に妥協しない桜井の対立がこの映画の焦点であるような気がする。観ているこちらもそれくらい妥協したらどうなんだと思わざるを得ないのだが、それは完全再現することにそこまでの意味があるのだろうか?と、他のメンバーと同じように僕も思っているからであろう。日本人であるならば、こだわりを強く持つ一方で、他者との折り合いを大事にするものではないのか?

 しかし、桜井は妥協することなく、最後には自らバンドを脱退する。その後、ツェッペリンのドラムであったジョン・ボーナムの息子がやっているバンドに加入して、音楽活動を続けていくところで映画は終わる。

 ツエッペリン愛のすさまじさ、それを完全に再現することへの情熱のすさまじさ、この映画はかつて観た映画「ゆきゆきて神軍」に近いものがあるな。ある意味狂気の領域だ。しかし、この映画は破滅的ではない。あることにすべてを捧げた男の神々しさがそこにはあり、それを感知する人々も決して少なくはないのだ。それが中途半端な模倣であるならば、今まで続いてはいないだろう。

 ただし、それはやはり日本的なものと言うべきかもしれない。日本からアメリカへと渡った桜井が、観客の違いについてメンバーに話す場面がある。アメリカの客はツエッペリンそっくりな自分たちを見て、大喜びして騒ぐ。アメリカと違って日本の客はこちらを観察していると。

 なるほど、そんなふうにただ喜んで騒いでくれる客を相手にしていれば、さらなる質の向上はあまり考えないであろう。一方で日本では、つねに「本物ではない」「違う」ところを指摘されるのである。これは良い悪いの問題ではないけれども、日本ならではの状況がそうした徹底したこだわりというものを生成しているということであろう。そこがまさに「日本的な」ことなのである。

 さらに桜井は言う。モーツアルトなどのクラシックは300年経っても同じ楽譜が演奏され、皆がそれを当たり前のように聴いている。それと同じように、ツェッペリンの曲は何百年経っても生き残るべき音楽であると僕は思っている。人は自分たちをコピーバンドと卑下することが多いけれども、クラシックを演奏する人たちのことをそうは言わない。でも、そんなふうに思っている自分はコピーを卑下することはまったくない。

 いやあ、なるほどなあ。説得力あるねえ。このような強固な信念、そしてあふれる情熱を、われわれは「こだわり」という言葉に集約させているのかな。ここまでのこだわりであるからして、ジミー・ペイジ本人が彼の元を訪れ、ジョン・ボーナムの息子が自分のバンドに招き入れるという展開を引き寄せているのだろう。ビジネス的なことはほとんど考えに入れない音楽人生、しかし結果的にこれは成功であろう。ツェッペリンに近づくという意味でも、ある程度のビジネスの成功という意味でも。僕も周りに散々言ってきたことなんだけどね。良い仕事さえしていれば、必ず良いことがあると。結果は後からついてくるものだと。

 こういうことが全然分かってない連中が「クールジャパン機構」を廃止に追い込んだのだろうね。世界における日本の人気ぶりを見れば、わざと失敗でもしない限り、うまくいかないはずがない、そんな簡単なビジネスさえも省庁、官僚の手にかかるとこうなる。血税500億を溶かした連中には重罰を与えるべきだと思うが、例によって誰も責任取らないんだろうな。

 さて、それでも、ジミー桜井のような信念と情熱とこだわりをもった人が日本にはいるのだ。音楽界に、車の業界に、小さな町工場に、日本の各所にたぶんこんな人たちがいるのだろう。こうしたところに希望はあるのが・・・。

中島みゆきはそれを「地上の星」と呼んだのである。

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