菅野所長のエッセイ:被災地の時間

 世界最大の蟹であるタカアシガニは、ふだんは深海にいるけれども、3月頃になると浅瀬にきて産卵する。それがヒラメ漁などの網にかかっていたりすると、漁師さんたちは春がそこまで来ていることを知るのだそうだ。

 そういった春の知らせは風情があっていい。しかし、ここ2年は、3月11日が近づくことが(東京の話だが)早春の知らせとなっている感がある。今年もまた数日前から災害関連の番組が多くなり、あれから3年経ったのだなと感じる。

 その中で、もうじき終了となる「笑っていいとも」のゲスト渡辺謙が、「被災地に行ったことのある人」というアンケートをとり、「50人、それ以上かな?}と予測したが、その結果は17人だった。サンプルが偏っているとも考えられるので、この数字が多いのか少ないのか、それは測りかねるけれども、「そんなものだろうな」と僕は思いつつ、にこやかにしていた渡辺謙が絶句し、しかしすぐに気を取り直して「(観光でもいいから)一度行ってみてください」と弱々しくお願いする姿を見て、いささか複雑な心境にはなった。

 現在、震災遺構を残すかどうか、防潮堤をどうするかという問題がある。中央行政の考え方は、遺構を残し、それなりの防潮堤をつくるということだ。遺構にかんしては、南三陸町の何度も映像に出てくる防災センター。3年前の春、僕もこの前を2回通った。
 あそこで家族を失った遺族たちは取り壊しを願うがそれは少数。町長は県や国の意向ととの間で揺れているようだった。問題は他にもあり、耐震強度が基準に達していないので、補強工事の必要もある。

 防潮堤のほうは、住宅部を護るということでたいていがかなりの高さの予定となっている。取りかかっているところもたくさんあるが。しかし、とくに漁師さんたちはそのことで漁に不便が生じることを懸念し、また海が見えなくなったり、景観を損ねることを危惧した反対の声もいまだ多いようである。

 こうした問題の基本は、何より地元の人の声を優先することではないのか。と思うが、県や国の考え方は、たぶん建設ラッシュによる経済効果も期待してか、小さな声はこの際排除せざるを得ないという方向に見える。けれども、国の補助のもと、建設によるさしあたっての活性化はあるのかもしれないが、巨大なものをつくればつくるほど完成後の管理維持費も膨大となり、それは地元行政の負担となる、結局、そのツケは税金として住民に回ってくるという仕組みだ。

 ある小さな漁港の住民たちは、当初から高い防潮堤の建設を拒否し、自分たちの生業(漁業)を最優先する道を選んだ。彼らは、何より逃げることが重要だと言う。振り返れば、どんな津波が来ても安心だという防潮堤を自慢していた町でさえ、あの津波の前では無力だった。何メートルあれば大丈夫という一見理のある話よりも、「まず逃げること」という言葉のほうが、はるかに大事なことを学んだ言葉ではないかと思った次第である。

 普通の場合でも住民の意見はいろいろであるものだが、今回は災害の被害の程度によっても違ってくるだろう。統一的な見解などなかなかできてこないものだ。でも、南三陸の遺構の問題にあるように、被災者の時間とそうでない者の時間とは進み方が全然違うのだ。

 一般の人はいつまでもそれに思いをはせていてはいけない、前を向かなければいけないという気持ちにもなるし、ひいてはそれが、震災遺構を残すことが後々にとって良いものをもたらすという結論となっていく。その結論、考え方は正しい、その通りである。言葉より何より、たとえば原爆ドームが人々の心にもたらすものは大きいだろう。取り壊しを求める遺族の方々だってそんなことはわかっている。しかし、今はまだ、そしていつまでかはわからず、そんな気持ちには到底なれないのだ。

 こうした声を拾わないで行われる復興とはいったい何なのだろう?
もちろん、行政は何度も話し合いをしてきたと言うだろう。しかし、重ねて言うが、多くの被災者の時の進み方というものは遅々としている。3年経った今でも、行方不明となった親や子どもを捜し続けている人たちもいる。加えて、今も避難生活を余儀なくされている人々は26万人。この人たちにとって、災害は終わってなどいないどころか現在進行なのである。

 被災者の方々が復興庁を訪れたとき、壁に飾られた東京オリンピックのポスターを見て愕然としたと言う。それを聞いて僕も愕然とした。その配慮のなさの裏には、ひょっとして、復興の名の下にオリンピックの経費までも有り余った復興予算でまかなわれるのではないか、そういうつもりなのではないかという疑いもむくむくと生じてきたのだった。

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