この1,2週間、ときどきうっすらと身震いがするようなときがある。緊張するのだ。W杯のことを考えるときが一日の中で何回かあって、そのたびにこうなるのだ。まったく、選手でもないのに困ったものである。
でも、そんな前哨ももう終わりか、15日はいよいよグルーグリーグ初戦、対オランダだ。三苫がいないとは言え、アイスランド戦でうまいこと足慣らしを終えた日本に対して、オランダはアルジェリア戦に負けたりして調子が良いとは思えない。アルジェリアに負けるなんて、これは勝機十分かと思ってその動画を観たのだが、決勝ゴールを決めたのは右ウィンガーのムサだった。彼はフェイエノールトの上田綺世の同僚で、フェイエノールトにいるのがもったいないくらいレベルの高い選手である。ビッグクラブへの移籍が確実視されるような選手だ。まあ、ムサの個人技にやられたんじゃしかたないかと、僕の中でオランダの評価はあまり下がらなかった。
最終調整はウズベキスタン戦だったが、これはオランダ側に不可解な退場者が出たり、主審が試合を壊した。ちまたの声はウズベキ相手にPKの二本だけかよとかオランダを腐しているけど、僕の見るところやはりオランダはとても怖いチームだ。思っていたほど強くないというだけで、日本はまだまだ挑戦者である。慢心など許されない。と思っていたら、SNSでも「いくら調子が悪いと言っても、オランダ相手に油断できるチームなど世界にはない」と言う声がほとんどである。まったく日本のサッカーファンはレベルが高い。お隣とは違うなあ。
でもやはり勝機も十分である。スペイン、ドイツと同組だった前回を思えば今回のほうがはるかに楽だ。でも勝つには条件がある。
とにかく長友はベンチに縛っとけ。前田大然をいかに効果的に起用するかに全智を注げ。富安と鈴木淳之介をスターターにもっていけ。伊東純也をフリーマンに。ボランチは鎌田と佐野で。森保がこれくらいのことを守ってくれれば勝てるぞ。いや、たとえ負けても悔いはないぞ。
先日は、吉田麻也をサポートとしてチームに合流させるという驚きの展開があった。アイスランド戦であれほど異例な厚遇をしてなお吉田に執着するその心は? 僕の推理では、たぶん長友がチームですごく浮いているんじゃないかと。吉田を入れるのは、そんな長友をサポートさせる目的じゃないかと思うんだよね。
ま、事の真偽は分からない。あくまで僕の邪推と言えよう。しかし、それでも長友に対する「森保の異常な愛情」はいったい何なんだ?と考えざるを得ないのである。かつてその愛情は、現在マジョルカにいる浅野に向けられていたけど、これについてはサンフレッチェ広島時代の教え子だったから分かりやすかった。長友はよく分からんので、だからこそ長友はかなりの政治家ではないかと僕は考えたのだった。この推測はそう外れてはいないと思うのだが、それよりもだいぶ自信のある見解にたどりついたぞ。
北米に旅発つ前、成田空港で森保監督はこう挨拶した。「大和魂をもって世界に挑む」と。いやあ、久々に公然とした場で「大和魂」というワードを聞いたなあ。昔、ハワイ出身の日系3世のボクサー藤猛が、片言で「ヤマトダマシイね」と言い、大変な流行語になったけど、それ以来かなあ。
「大和魂」という言葉が登場した最古の例は「源氏物語」である。
平安時代は中国からの知識が貴族エリートの根幹を成していたが、そのような漢才ばかりでは人物としては足りない、そんな海外の知識以外のさまざまな能力、すなわち和才とも言うべきものが必要であるという考えがあった。作中、光源氏に語らせる「やまとだましひ」とは、日本社会をよりよく生きる能力、生きるための知恵を指していた。
けれども、「大和魂」と言う言葉は、その後は武家社会成立以降に重用されるようになった。侍のための言葉というかね。何というか、本来の意味はだいぶ失い、戦うに当たっての呪文みたいな感じになっていったわけである。「鬼畜米英」を謳った戦時中にもたくさん使われたね。
大和魂という言葉は平安からあったわけだが、同時期にあったのは「大和心(やまとごころ)」である。たぶんこちらの方が古いのではないか? 「大和は国のまほろば」、平安よりも奈良時代、ヤマトという国のかたちができあがってからのことだろう。紫式部はこの「大和心」を「大和魂」と言い換えたのではないのだろうか。
中国から来ていた「漢心(からごころ)」に対して、日本独自の精神のあり方を示すものとして「大和心(やまとごころ)」という言葉が生まれたとされている。「大和魂」の意味が変質したのと違い、「大和心」は日本人のきめ細やかな心のありようをあらわすものとして変わらずに生き残った。二つはルーツを同じくしているのだが、現在意味はかなり違うのだ。ちなみに、大谷が持っているのは大和魂ではなく、大和心ではないかと僕は思うのだがね。
さて、もちろん森保は戦いを鼓舞するワードとして「大和魂」を使っている。で、森保が話しているその隣で、長友は一人異様な空気を発していた。全員がお揃いのスーツ姿で整列している中、彼だけが日の丸と「闘魂」の文字が入った鉢巻きをしているのである。このアナクロさはいったい何なんだ? 監督の挨拶で「大和魂」という言葉が使われるのを前もって知っていて、それに呼応しようというパフォーマンスなのか? いったい何のために? いったい誰のために?
前もって知っていたのなら、僕が言うようにチーム内政治家であり、すこぶるつきのイエスマンということだよね。知らなかったとすれば、こっちのほうがより恐ろしい感じがするのだが、森保と長友はとても精神的に似ているということだな。僕らの想像以上に深いところで通じている人たちということになろうか。だって、普通の監督なら「こういう場で、そんな鉢巻きは外しなさい」と言うんじゃないの?
とにかく、「大和魂で挑む」だけならどうということもなかったのだが、長友の異様な風体とセットになったことでひじょうに気味の悪い挨拶になったね。僕がこの監督に対して懸念してきたのは、長友と似通っているような、そのセンスであるのかもしれない。
「大和魂」がそのような解釈をされ、そして使われるようになったのは、江戸時代の鎖国文化とそれに伴う攘夷的な国学者たちの影響であろう。本居宣長がその代表だな。その論敵、上田秋成はこう言っている。
「どこの国でもその国のたましいが国の臭気なり」
とは言え、「大和魂」はほとんどの人に違和感なく受け入れられている。それもしかたないか。野球では「侍ジャパン」であり、サッカーの代表も「サムライブルー」と呼ばれる。何しろ「侍」だからな。でも、ただ人を殺すだけの侍ではなく、武士道という倫理面を強調するならば、それは「大和心」にも通じるものとなるだろう。けれども、たとえば「天下の副将軍」水戸黄門こと水戸光圀は、自分が試し切り、いわゆる辻斬りをしていたことを告白しているのだが、平安に始まり、そののち武家社会へと根づいていった「大和魂」は、そんな意味のない殺人を許容するような精神でもあったわけである。
そんなことを考えてしまう僕は、「大和魂」ではなく、「大和心」で戦って欲しいと思うのである。先の世界戦争で、「大和魂」は日本に勝利をもたらさなかったよね。戦艦「大和」もあえなく撃沈されたし。
さて、女子サッカーのW杯は来年のことだが、先日は南アフリカとの親善試合があった。まだ一年前とは言え、こんな弱い相手とマッチメイクしてどうするの? とは思うが、新監督のお手並みを拝見しなければならない。はたして第一戦の布陣たるや、谷川と長谷川を同時起用は当然として、何とゼロトップである。うーむ、これは何だな、どうやったら谷川を最大限に生かせるのか? それを主眼とした戦略であるのかな。まあ、この試みが成功したのかどうか、今後も継続可能なのか、それはよく分からない。相手が弱すぎるからね。
でも、見ましたか、谷川のスーパーゴール。中央左のミドルレンジから、右足のアウトに引っかけてのシュートでしたねえ。あれはすごかった。女子サッカーの世界を見渡しても、彼女以外にあんなゴールを決められる選手はいない。昔、Jリーグ時代の中村俊輔がアウトに引っかけてのすごいゴールを決めたことがあったけど、女子でああいうことができるなんてとんでもないな。こんな至宝を抱えているのだから、世界一の奪還も決して夢じゃないのだ。
谷川を起用しなかった第二戦は何と0-1で負けるもんな。相手はランク50位だぜ。新監督の首の周辺には季節外れの寒風が吹きすさんでいるのでは?
まあ、こっちは1年後だ。それよりも月曜日である。最低でも勝ち点1は取って欲しいものだが。
