菅野所長のエッセイ:真夏の不等式

 この春から週休二日になったのはいいことなのだが、慣れてないのでどうにも過ごし方がよくわからない。とりあえず、最近は映画に行くようになった。この間は「風立ちぬ」、その前は「真夏の方程式」とベタなものだが。歩いて15分くらいの豊島園ではそういうのしかやっていないのでね。

 この夏なんと言っても「風立ちぬ」を楽しみにしていたのだが、飲み屋でたまたま観た人の話を聞いたところ、「大人のアニメですね」という感想のみ。どうもビミョーな反応だったので、「これはもうひとつなのかもしれない」と心の備えをしておいたのだった。 さて映画のほうは、前半部はなかなかいいなあと思ったのだが、20分くらいすると「これはアニメでやる必然性があるんだろうか?」という疑問がもたげた。宮崎アニメではいつものことだが、前半部は丁寧な運びであっても、後半尻切れトンボになる。この映画も多分に漏れなかったなあ。うーむ、やっぱりビミョー。

 高校一年か2年くらいだったか、堀辰雄の「風立ちぬ」を読んで、そのセンチメンタリズムと叙情性にけっこうやられてしまった。当時から10代後半にかけては、いろいろとバカなことをやりつつも日本文学を中心に本を読みあさった時期である。堀辰雄は文学史上さほど存在価値がある人とも思えないが、それでも「風立ちぬ」にはやられてしまうのである。
 そのタイトルを冠した映画を観ないではいられないわけだったが、ちょっと残念なものだった。小説を読んでない人にはいいのかもしれない。前半部の感じがずっと続いていればかなりいい映画と思うけど。ま、しかし、アニメでやることの意味はなかったな。せっかくのユーミン「ひこうき雲」も作中に挿入したほうがいいんじゃないの?

 これなら、ドラマの延長、そして映像だけはきれいだが、内容的には劣化版の「真夏の方程式」のほうがいいところもある。謎解きもお粗末、犯人心理もお粗末で、ありえない感が強い映画だが、福山雅治演じる湯川学と少年とが海に向かって何度もロケットを打ち上げるシーンだけは美しく秀逸だった。ダメなのはキャスティングと脚本。とくに民宿の主人でである前田吟。寅さん映画が消滅して行き場がなくなった役者には荷が重かった。杏は意外と悪くないのだが、脚本的に無理無理な役柄なので気の毒。一番あり得ない。僕の大好きな風吹ジュンもそのあおりを食らった感がある。

 とにかく内容的にはダメダメで、きれいな海の映像には少し救われただけの映画のはずだったが、ラストで思わぬ展開となる。少年はそんなこととはつゆ知らずに自分が殺人を手助けをしていたことを悟る。そのことをぼそぼそと語る少年に対し、湯川は心理的に救おうとはしない。それどころか、そのことと対峙することを課する。えー。そりゃ酷すぎるんじゃないの、こんな子どもに、と思わないではいられない。普通は、そんなことないよ、君には何の罪も責任もないよと言い含めるシーンでしょ? ここは。
 ここで観客の心はずーんと重くなり、それを引きずりながら映画館を後にすることになる。僕も歩きながら考えた。しかし、あのラストでなかったら、何も残らない映画だよなあと思った。十字架を背負った少年がこれからどう成長していくのか、大人になっていくのか、そんなことを考えるわけである。

 それにしても、わからないものだ。映画も競馬も。あの一点のみで自分の中では「風立ちぬ」よりも「真夏の方程式」のほうが、より心に残る映画となった。

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