菅野所長のエッセイ:感謝のメカニズム

先週末は用事があってコラムをアップできませんでした。申し訳ない。

先日、セリエAのインテルに行って化けた長友のインタビューを興味深く見た。
世界的な選手が集まるビッグクラブの中で、長友は当初ほとんど機能しなかった。それは地元紙の厳しい評価に表れている。「臆病」「何をしていいのかわからない」などと酷評されていたのである。
まあ入ったばかりだからしかたない、そのうち慣れれば少しはよくなっていくのではないかと、当時の僕は見ていたのだが、当の長友本人は状況を楽観していなかったようである。このままではどうにもならないと、早々に危機感を覚えていたのである。

何試合もベンチから他の選手を見ると、みな余裕を持ってプレイしていることに気づいたという。自分にはそれがない。結論としてメンタルの問題だと長友はした。しかし、そもそもがボール扱いがうまくない選手である。僕は、根本的な問題は圧倒的な技術差にあると思ってはいるし、何でもメンタルな問題に還元するのはいかがなものかと考えることが多い。けれども、それはすぐには向上するものではない。たぶん長友もそれはわかっているのではないかと思う。

で、長友は思考する。ゆとりをもってプレイするには何が必要かと。長友が到った結論は「感謝すること」。それは大げさなことではなく、今日もご飯が食べられて幸せだなあとか、とにかくフットボールができてありがたいことだなあとか、きわめて身近なことに対してでいいというのである。うーん、何か学校の先生とか、一見温厚そうに見える宗教家みたいなことを言うなあと、つまらない番組になりそうな予感がしてきたとき、僕はこの選手のなかなかな部分を見せられた。

「感謝するというのは、心に余裕がないとできないことですよね。それはつまり自分以外のものが見えているということになります。それは視野が広がるということです」
ほう、これはひじょうに理屈にかなっている。こいつなかなか頭がいいなあと僕は感心したのである。

そして、このように考えたところ、ピッチでもそれまでふさがっていた視野が一気に広がったというのである。そうなると次に自分がどう動けばいいのかも瞬時にわかってくる。実際長友は水を得た魚のようにピッチを躍動し始めた。その足取りを見ていた僕は、そこに何があったのか知るよしもなく、ただ「化けた」とだけ思っていたのである。

何でもメンタルなことに還元するのはどうかという思いは変わらないが、それでも心に余裕を持てさえすれば、さまざまなことがそれまでよりもうまく運ぶことは間違いない。長友は別に特段うまくなったわけではないが、それでもほんのちょっと心の持ち方を変えるだけでインテルのレギュラー級となった。そうやって自信をつけていくうちに技術も向上するものなのだろう。
「感謝する」というのは、いやらしい道徳的な意味でなく、意識が自分のことだけになっている「自己という病」から抜け出すひとつのあり方なのである。

ということで、ひょっとして心の余裕を持てているからか、先週は早々とWIN5(主要5レースを当てる)を的中。4レースまで当てて、最後の5レースを見るときには、ほんとに競馬をやっててよかったなあという高揚感があった。で、⑧フミノイマージンが刺しきったときには欣喜雀躍。1人で競馬を見ながらこんなに喜んだのはいつ以来だ。昔、タケノベルベットがエリザベス女王杯を勝ったとき(馬連700倍超)以来だろうか。
しかしながら、配当はWIN5過去最低の28万円。これにはがっくり。まあ当たらないよりはいい。感謝が足りんなあ。長友を見習おう。

で、今週は夏のグランプリ宝塚記念。これを最後にGⅠは当分ない。
勝つのは、⑧ブエナビスタ④エイシンフラッシュ③ルーラーシップのどれかではないか。実力場が揃った力勝負。波乱はないと見た。2番手グループとして②アーネストリー⑨ローズキングダム⑩ドリームジャーニー⑭トゥザグローリーだが、②アーネストリーを最上位としたい。

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