菅野所長のエッセイ:心配の効用

 今週も忙しいなあ。

 この2週、疲れがなかなか取れない。休みには何もしないでひたすら閉じこもっているのにねえ。ひとつには、頼まれ仕事が増えたり、前からあったものの期限が近づいているからだ。とくに雑誌の依頼原稿のほうは、最初から締め切りが近い。たぶん、急遽、誰かの穴埋めなのだろう。ま、しかし、そういうのは全然かまわない。要は、考えたり、書く時間がある程度あれば大丈夫なのである。しかし、今は忙しいので、そういうことがなかなかできない。

 とりあえず、順番として、来週の仕事のレジメをつくるのが先決だな。と、昨日の夜中3時頃、心配で眠れない中、思い立って、何かのチラシの裏を使って草稿を書き殴り、仕事場に持ってきた。これで70%くらいは安心である。パワーポイントは使わないでいいや。そして、原稿は来週だ。

 と、いろいろと心配だ、眠れないと吐露したら、スタッフの一人が「心配しているうちは平気らしいですよ」と言う。ほう、どういうこと? すると、心配しているうちは何とかしようとするので大丈夫、でも何も心配していないと、自分を過信してしまうからだということである。なるほどね、心配していないほうが心配であると。確かに。いつも心配ばかりしているけど、最終的には必ず何とかしてるものなあ、自分の場合。だから、心配しているほうがいいのかもしれない。

 そういえば、凱旋門賞の後の何とも言えない虚脱感から始まっているのかもしれない、この不調な感じは。ほんとに力が抜けていくっていうのは、ああいうものなのだな。ゆっくり、ずぶずぶと沼に沈んでいくみたいな。

 これで、自分の目が黒いうちという悲願のひとつは達成しそうもないともはや覚悟せざるを得ない。勝ったフランス馬トレブは強かった。完敗。あれでまだ3歳の牝馬だもの。同じ3歳ののキズナも健闘して4着。でも、レースぶりからは来年勝つまでの期待はかけられない。それくらいの見る眼はあるもんね。だてに長く競馬をやってきたわけじゃないので。

 とにかく、明日を何とか乗り切り、日曜月曜と引きこもり、でも競馬は少しやって、来週は原稿を8割方は書き、再来週には完成させる。で、月末はちょっとお出かけすると。大まかにはそういう意向でいるのだが、やっぱり心配な感覚は膜のように自分を覆っているようだ。まるで北京の空気のようだな。
 そうそう、最近北京に行った人の話を聞いたら、やはり相当なものらしい。100メートル先のビルは見えるが、200メートル先のは見えない。とくに驚愕するのは、その視界の中で北京空港が変わらずに運用されていることだという。事故が起きたという話も聞かないが、さぞかし怖いことだろう。

 と考えると、北京よりは視界がよさそうだな、僕の場合。なんちゅう比較だろ。
 

最初に戻る