いつの間にか近くのブックオフが閉店になってしまっていた。残念だ。こうなると本を買うのはほぼネットだけになってしまう。古書はつまらないものが多いけど、ときどき思いもかけない面白いものに出くわすことがあるのだ。ネットだけだと、自分の意図とは関係ない出会いというのがなくなってしまうな。かといって、神保町あたりに出るのは面倒だしね。
最近でものすごく面白い出会いだったのは、宮崎は高千穂関連の本。普通なら絶対に出会うことなどない、マイナーな地方出版社のものだ。ひとつはこの地方独特の名字についての本。たとえば興梠(こおろぎ)という姓は高千穂限定のものだという。まてよ、興梠と言えば、浦和レッズFW、かつてJリーグで得点王にもなった選手がいる。で、調べてみると宮崎出身とある。ああ、やっぱりそうなの。
で3月に、ゴルフ友だちであり、かつて宮崎大学に10年くらいいたO氏に聞いたところ、やはり宮崎県の名字は独特だったと言い、たとえば那須(奈須)なんて名字がすごく多いんだと。ああそういえば、相談室の室長だった人の名が那須で、宮崎の田舎の出身だったと言っていた記憶がある。
しかしながら、以前Jリーグにいた那須という選手を調べると鹿児島出身だった。そして、ものすごい昔に会った教育学の奈須さんという人は徳島出身だった。どうも興梠ほどには宮崎限定というわけではないようだ。
それもそのはず、那須という姓は、栃木県の那須に由来する。本来はこのあたりの一族なのである。源平の戦いのときには源氏側につき武勲を上げた。壇ノ浦の戦いでの那須与一が有名ですね。
その後、平家の敗残兵は落ち武者となって散り散りに逃げたわけだが、鎌倉の命を受け、那須一族はこの追討を請け負うことになった。そして、栃木から一族ごと出兵し、九州での落ち武者狩りに奔走、とりあえずの居住地とした高千穂あたりに住み着いたということである。事が終われば、本来なら栃木に帰るのが本筋だろうが、源氏からの報償が少ないことにひじょうな不満を抱いたらしい。で、その土地をわがものにしちゃおうと思ったのか、そして栃木よりも住みやすかったのか、明確な理由はわからない。
とにかく、宮崎の姓にかんしては、興梠のように、神々が降臨したとされる場所に古くから住む人々があり、一方で、平家の落ち武者や、那須のように、それに関連して移り住んだ人々が多くいるということらしいのだ。なるほどね。
で、高千穂にかんしてはさらにとんでもなく面白い本があった。今回はそのフリネタということで、本編は次回に回そう。
先週は天皇賞だったが、来ないはずがないと思った⑫ドゥレッツアが大惨敗。この馬からしか買ってない僕も僕も大惨敗であった。で、今週はテンション下がる。3歳GⅠ、NHKマイルカップ。本命はジャンタルマンタル、相手は5,6頭いるかな。
そうか、那須与一と言えば流鏑馬だったな。