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追憶の桜

 4月も10日になるというのに、東京ではまだ桜が元気だ。京橋から人形町に向かう桜並木もいまだにきれいだし、仕事場の前の道は、八重桜が5分咲き以上になっている。

 ユーチューブでは京都の桜の映像が多いけれども、東京の人間からしたら、京都の桜はまばらである。まあそれでも京都は桜の咲く場所が多いほうではあるのだが。

 そもそも東京以外の地域では、限られた場所に桜の名所があるくらいだ。東京のようにどこにでも咲いているということはない。昔、この季節に来た九州の人は桜の多さに驚いていたな。それを聞いて、僕もそういうものかと知ったのだった。桜の季節に東京以外にいるということは少ないので分からないのである。ちなみに、東京のホテル料金がいかに高いか、東京の人間には分からないのと同じね。

 ちなみに、僕の家の近く、練馬駅の前を通る千川通りは池袋線と平行しているのだが、中村橋-練馬ー桜台ー江古田と4駅分が桜並木となっている。全長3~4㎞で、ここをそぞろ歩けばもう眼福でお腹いっぱい、帰りは電車で帰ることになる。

 東京はそういうところだらけで、全国的な名所として上野公園、新宿御苑、千鳥ヶ淵の3大スポットがあり、それ以外には飛鳥山公園、井の頭公園などがあり、隅田川、目黒川も超有名である。地元の人しか知らないだろうが、石神井公園や洗足池の桜も見事なものだ。こんなふうに地方にあれば最大の名所となるようなところが東京にはたくさんある。再度言うが、しかし、東京の人間にはその価値がなかなか実感できない。要は自分の家の近くにも必ずあるからだよね。

 あとは、大学があるね。僕のいた学習院もきれいな桜だったが、何と言っても東京工業大学の大倉山キャンパスがすごい。なかなかない太さの古木が咲かせる桜は大迫力である。

 限られた場所の桜ということでは海外の桜がそうだね。いちばん有名なのはワシントンDC、ポトマック川沿いの桜だろう。明治時代、日米友好のシンボルとして植えられた桜は、たぶん気候風土が合うのか、本場にも負けない見事さだ。その数3000本は、本場よりもすごいし。ただ、これよりも多いのが、ニュージャージー州エセックス郡立公園。約5000本と言われるが、あまり知られていないところを見ると、咲きっぷりがあまりよろしくないのだろう。気候や、メンテナンスに問題があるのかもしれない。

 ちなみに、墓には「墓守り」があり、温泉には「湯守り」があるように、「桜守り」と呼ばれる人がいるらしい。弘前の桜について調べていたら、ここの桜のメンテナンスにかかわる人がそう呼ばれているようだ。

 海外の桜、韓国などを除いて、ヨーロッパ、北米の桜はみな日本から送られた苗木が育ったものである。ワシントンのなんかは100年以上前だから、かなり立派な古木だ。そんな海外の桜の中でも、その背景にある物語に感動を覚えるのはウズベキスタンの桜だ。今から約20数年前、日本からの約1300本の桜の苗木がウズベキスタンの要所に植えられた。

 かつて第二次大戦後、旧ソ連軍によってこの地に強制連行された日本人の戦争捕虜がいた。その数2万5千人。彼らは、道路、発電所、炭鉱、運河、学校など種々の建造物をつくる強制労働者として毎日を送ったのである。1日の食事は300gの黒パンとスープ。あまりに気の毒なので、地元の人が子どもに頼んで内緒で食べ物を差し入れすると、数日後同じ場所に手作りのおもちゃが置かれていたという逸話がある。このようなエピソードも含めて、ウズベキスタン人の中で、日本人はみなすばらしい規律と道徳を持ち、その働きぶりによって何もなかった国のインフラをつくってくれた大恩人という位置づけができあがったようである。当時につくられたインフラは今でも活用されており、それもまた日本人のすごさが語り継がれている要因でもある。

 1999年、そんなウズベキスタンの日本大使として着任したのが中山恭子である。着任した翌年のこと、宮崎から来た訪問団の中に首都タシケントで当時強制労働をしていたという人たちがいた。彼らは、当時死んだ仲間の墓参りをしたいと中山大使に語り、大使はさっそくその手配をした。墓に行ったうちの一人によると、当時つくった発電所は今も稼働しているが、墓は荒れ果てていたと悲しんだ。

 これを重要なことと考えた中山大使は、紆余曲折ありながらも墓地の整備に踏み切ることにした。そしてウズベキスタン政府にその旨をお願いすると、首相はそれを当然のことと捉え、日本側の思惑をはねのけ、ウズベキスタンの予算でやると言った。そんなことは前代未聞だったらしく、中山からそれを聞いた厚生省の役人は「そんなことはありえない」と信じなかったようである。

 かくして2002年春には、墓地の整備がなされ、桜の苗木も輸送された。当初は墓地に植樹する2~300本の予定だったが、当時建設中の首都の中央公園を桜で埋め尽くしたいなどの要望もあり、桜だけで1300本となったようである。

 このようなスピードで事が成され、かつ経費は相手政府持ちという異例さは、大使以下の尽力もありつつ、ウズベキスタンの人々がかつての日本人捕虜の方々にどれほど感謝しているかの証である。

 そんな訳で、超がつくほどの親日国ウズベキスタン。実はサッカーW杯アジア予選で、このまま行けばW杯初出場なるかもしれない成績につけている。たぶん日本のサッカーを手本としているんじゃないかなあ。それから、U-17アジア杯では、サウジに3-0と圧勝し、衝撃を与えているし。日本としてはこういう国を大事にしなきゃ行けないよね。ということで、僕はウズベキのW杯初出場を祈っているのだ。

 さて、その後解放され生きてウズベキスタンから日本に帰った人は言っている。がんばって皆で日本に帰って、もう一度桜を観よう、それを合い言葉のようにして苦しい日々を耐え忍んだということである。

 それは日本人ならば共有できる感情だろう。そして、彼の地で無念の死を迎えてしまった方々にもう一度桜を見せてあげたい、そんな日本人であるがゆえの気持ちがこのようなプロジェクトを成功させたとも言える。

 もう一度桜を観たい、僕も以前そう考えたことがあるのだが、日本人にとってその気持ちが生きる力になる。これが桜と日本人との関係である。

 これをどう説明したらいいのかなあ。レヴィ・ストロースなら、手際よくてカッコいい論説を語ってくれそうな気もするが、日本人が日本人論として語るべきかなあ。僕もちょっと考えてみよう。

 さて、そういうことで、去年は高遠の桜を観に行ったわけだが、今年は弘前の桜を観に行こうかと思っている。いわゆる日本三大桜の二つ目。ここを観れば心残りも少なくなるかなと。

 参照:中山恭子「ウズベキスタンの桜」(KTG中央出版)

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