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浅草タイムトリップ

 花の雲 鐘は上野か 浅草か

 芭蕉の名高い句である。彼は江戸の深川に住まっていた。当時、時を知らせるのは鐘の音だったが、このあたりでは上野の寛永寺と浅草の浅草寺の鐘の音が聞こえてくるのだろう。しかし、4キロから5キロ離れた深川あたりで聴いても、どちらのものかはあまり判別がつかなかったということだろうか。

 ただ、ものの本に寄れば、江戸下町の鐘はリレー方式であったとも言う。最初に寛永寺、それが鳴り終わると浅草寺、次は深川というのだ。だから上野と浅草が同時に鳴っているわけではないのかもしれない。

 先週、芭蕉の生誕地である伊賀の話からこの句を思い出し、一度はこの鐘の音を聴いてみたいものだなあと考え始めた。寛永寺でもいいのだが、例のイチョウも観に行きたいなと思い、まずは浅草寺だ。浅草寺の鐘は毎朝の6時だけで、あとは大晦日の除夜の鐘だけである。朝の6時というと、練馬から行くには4時50分頃の始発電車でないと間に合わない。けっこう大変である。そして、平日だと帰りは人々の出勤タイムに当たるので、休みの日に行かなければならない。

 ということで、この間の日曜、雨も降らないという予報なので浅草寺に行くことにした。練馬から池袋、山手線に乗り換えて上野に向かうのだが、驚いたことに、朝の5時だというのに山手線がすごく混んでいる。半分以上は外国人だ。いやあ、そういうものなの? 最近は。これが普通なの?

 しかし、謎なことに、大塚とか田端とか、マイナーな駅で彼らはけっこう降りていくのである。上野に着く頃、車内はほとんどの人が座り、立っている人がまばらな状態となっていた。大量のスーツケースもなくなるからね。でもまあ、この時間ならこれが普通でしょ。

で、地下鉄に乗り換えて浅草へ。

 着いたのは5時40分過ぎ。地上に出ると、こんなに早いのにけっこう人がいる。やはり外国人が多いけど、意外に日本人も多い。でも、一般の人に負けず、はっぴや股引を着てねじりはちまきの連中がゾロゾロいる。あちこちから湧き出てくる感じだ。ああそうだった、今日は三社祭の最終日だった。あちこちの社中が、それぞれのユニフォームと神輿を掲げて大騒ぎするわけである。それは分かるけど、こんなに早い時間から神輿を出したりしてるの? それに浅草にこんなに男手がいるものなの? すでにちょっと遠くでは神輿を担ぐ歓声が轟いている。たぶん言問通りあたりか。それにしても、まだ6時だぜ、みなさん。

 祭りの予習をしている観光客も、それに合わせて早い時間に来ているようだった。これは誤算。で、混雑整理のために警察もご出勤していて、浅草寺周りはバリケードが巡らされ、中心部には入れないようになっているではないか。これも計算外だったが、もとより今日は中心部には用事がないのでよかった。鐘楼がある弁天堂は、本堂と浅草通りの間なので、ここには問題なく入れる。

 で、行ってみると、僕と同じように鐘の音を聴きに来ている人もいるのだが、すぐ近くに集まっているのは10人くらいか。外国人も数人。でも、ほぼ近所の人のようだ。日課なんだろうね。とにかく、ここはあまり混んでなくてよかった。10分前にはすでに和尚さんが鐘楼に上ってスタンバイし、ちょうど6時になるのを待ち構えている。元禄の時代から330年間、毎朝これが行われてきたのだ。それを思うとワクワクする。

 でいよいよ6時となり、打鐘が始まる。当たり前だが、目の前で突かれるので音がすごく大きい。そして、予想外にカン高い音色である。あれ、ちょっと違ったなあ。それに余韻が短い。これも少し違った。僕の知る鐘の音はもっと余韻があるものだった。300年前の技術だからかなあ。

 でも、まあいい。300年前と同じ、あの芭蕉も、江戸市中の人々も聴いていた鐘の音を今自分も聴いているのである。それで十分なのだ。

 しかし、明け六つを知らせる鐘だから、6回鳴らすのだろうと思っていたのだが、6回過ぎても終わることなく鳴っていた。僕の記憶だと8回は行ったなあという感じ。これは後で知ったのだが、最初の2回は「前捨て鐘」と言って若干弱めに打つのだそうだ。で、計8回になるというわけ。そうなのか、全然知らなかった。鐘の聞こえない世界でずっと暮らしてきたからな。寺の近くに住んでいる人からすれば常識なんだろうけど。

 で、朝早く大変だったが、来てよかったね。もっとも鐘のすぐ横で聴くこともなかったかな。ちょっと離れて、たとえば雷門のあたりで聴くほうがもっと風流だろう。あるいはもっと離れたところでもいいとは思うのだが、今の時代、この鐘の音はどのあたりまで聞こえるのだろうか。昔は深川にまで届いているわけだが、機械動力のない時代はほんとに静かな時代だったのだなと思う。

 で、弁天堂の隣に、前にも紹介した火災から免れた大きなイチョウがあるのだが、その敷地には入れず、脇道から見上げるしかなかった。ついでに浅草寺境内にも寄っていくつもりだったが、中心には入れない。しかたないから、弁天堂から浅草通りに出て、言問通りを左折、寺の裏門側から、国際通りまでは行かずに左折、花屋敷通り、伝法院通り、ロック近くをかすめて、雷門方面と歩く。浅草寺の大回りコースだ。結局は、神谷バーからスタートして神谷バーに戻るという、足が棒の散策コースとなった。まあ、浅草はわりと詳しいからこういうこともできる。渋谷も新宿も六本木も行かないけど、浅草は好んで行っていた。

 浅草は東京でもっともフリークでファンキーな街なんだよね。大好き。言問通りの向こう側によく行く店もあったし。この日も、飲み屋が何軒もやっているんだよね。祭りなんで特別ではあろうが、朝の6時ですよ、6時。これぞ浅草! 前もって知ってれば、飲んでゆっくりと帰ったのだが。

 三社祭とかち合わなければもっと静かでよかったのだがね。そもそも三社祭は神事をねつ造したような祭りだから好きじゃないんだよな。京都の葵祭はもっと嫌だが。

 この日は最高予想31度という日なので、早朝とは言え蒸し暑くてちょっと疲れた。でも、なかなかない経験ができてよかったね。ちなみにこの日は雷門のあの大提灯がたたまれていた。台風襲来以外に提灯がたたまれるのは三社祭だけであって、珍しいことではある。もうひとつちなみな話は、この提灯は10年おきに新調される。京都で造られるのだが、完成品はとても重くて大き過ぎるので、高速道路では移送できないらしい。で、しかたないから一般道路で2日かけて運ぶんですと。

 さて、次は寛永寺に行ってみようかな。こちらの鐘は、浅草寺よりも30年くらい古い。鳴らすのは朝昼晩の3回なので、正午ならのんびり行けるし、美術館でいい展示があれば更にいいし。

 で、帰りの電車の中ではすっかり風流人の気分となり、畏れおおくも芭蕉への返句をひねってみた。

 時の鐘 知るは若葉か コンビニか

本来「若葉」は「銀杏」にしたかったのだが、それでは季語がなくなる。「コンビニ」は「仲見世」にしたかったが、今も昔も、こんなに早くは開いていない。で、句としては味わいが消え失せたな。完全に「凡人」。

なので、追句という意味でもう一句。

 時の鐘 コンビニ灯る 夏の朝

 このへんが今の精一杯かな。「夏の朝」は5月の季語です。

 

ああそうだ。時節に合わせた川柳も一句行ってみよう。

 農水相 もらうお米は 七光り

あの江藤隆美の息子だったんだねー。何というか、納得。辞任のインタビューの言い間違いが傑作だったね。自分の支持者へ謝罪するつもりだったようだが、「立派なお祝いを」と言いかけて、「立派な応援をいただいていたのに」と言い直した。すべてを与えられ、すべてをもらってばかりの人生なんだろうね。何というか、でも、憎めない感じ。

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