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名刹の鐘

 十日前に北海道は知床に行ったときも若干暑かったのだが、今週の道東は史上最高のようだ。昨日は北見で37度、美幌で38度。今日は帯広あたりで40度という予想である。

 その北見市は、空港を降りて「山の水族館」に向かうときに通り過ぎた。なかなか大きな町という印象で、面積だけなら札幌にも劣らないのではと感じる。密度は全然違うけど。

 で、確か最近ほとんど財政破綻しているとニュースになったことを思い出した。でも、炭鉱にすべて寄りかかっていた夕張のような町とも思えず、こんな大きな町が破綻危機になるというのは余程行政がアホなのだなと思わざるを得ない。街中を車で走るとそれをひしひしと感じる。

 原因は少子化による税収減だろうが、そんなことは全国どこにでもあることであり、統計的に将来予想してある程度の対策を講じることは難しくない。このとき、北見市は近隣の町を吸収することで解決を図ろうとした。合併には一時的な恩典があり、それによって公共施設などをどんどん造ることができた。しかし、それによって膨大となった管理維持費に苦しめられることになる。いわゆる負の遺産が急増してしまったわけである。五輪や万博の施設がもったいないと思われても壊すのは、維持できないことが分かっているからだ。北見の行政はそんな計算もできず、町が大きくなればすべてはいい方向に向かうと思ったのだろう。彼らは「合併」という名の禁断の木の実を食べてしまったのだ。ホンダは躊躇しつつ日産を食べなかったのは賢明だったな。

 ま、それはともかく、温暖化は北海道の天候も浸食している。先日、韓国沖でクロマグロが大量に水揚げされ、漁獲制限によりほとんどが廃棄というニュースがあったが、それも海水温が嘘みたいに上昇してしまっているからだ。何でも、近いうちに日本ではサケが獲れなくなるんじゃないかという話もある。僕は嫌いだけど、子どもや外国人、若い人たちは鮨ネタではサーモンが大好きのようだし、そっち方面では大打撃ではないのか。昭和の時代には、福岡でもサケが獲れたり、もっと南方では熊本の天草でもサケが獲れることもあったらしい。そんなこともあったのかと驚きだが、もっとも、かの地方ではサケの食べ方が分からなくて、吊して干して堅くなった身や皮をまるで薬のように食べていたという。

 まあしかし、北見市もまた日本全体の縮図であろう。日本もあいかわらず「失われた30年」の中にあり、その出口は見えてこない。関税25%が15%になって喜んでいていいものか。会社で言えば、社員の基本給を上げることよりも、一時金的なボーナスで相手を喜ばすという戦略に出たわけだがね。しかし、こうまでしてトランプに屈しなければならないのかと思う。

 そんな空気もありつつ、参議院選では「日本ファースト」の参政党が大躍進。あの頃の維新の会みたいだね。でもこの参政党、維新なんかよりもさらに政治ビジネスの匂いがプンプンするなあ。そのうち当選議員のスキャンダルが続出するような気がするのだが、いかがなものだろうか。そもそも極右を自認しているんだから、ファーストなんて英語は使わないのが筋じゃないのか。それはまた別なのか?

 テレビをつけたら和田アキ子がマイクを握って何か偉そうなことを言っていた。いったい何を言っているのかと思ったら、和田アキ子じゃなくて高市早苗だった。遠くから観ると似てるなあ。いよいよ石破首相が退陣となりそうなので色めき立っている様子だ。これが首相になったら、参政党が連立してもおかしくないかな。でも、子分格の杉田水脈は落選したけどね。

 そんな選挙日の頃、僕は暑い暑い京都に行っていた。北海道の次が京都だからねえ。そりゃ暑いの暑くないの、暑いに決まってるんだが、しかし、思ったほどではなかった。もっと暑いと思ったんだよね。少しは慣れたのかな。で、今回はいい機会なので、西本願寺と東寺の鐘の音を聴こうと。

 西本願寺は5時半、東寺は6時に鐘が鳴る。両寺はまあまあ近い。つまり、聴こうと思えば、両方聴けるのである。どうせ早起きするんなら両方行ってしまおう。

 で、4時50分に起床。5時ちょうど、ホテルから西本願寺に向かう。さすがに人はほとんど歩いていない。ホテルから西本願寺までは15分くらいと踏んでいたのだが、信号待ちなんかもあるし、20分はかかったかな。でもちょうどいい。門の前には他に3人くらいいた。5時半に打鐘が始まり、それとともに開門となる。その通り、一打目で門が開いた。中に入ると左手奥に鐘楼がある。その鐘の音は実に心地よいものだった。浅草寺の鐘と違って、余韻がすごい。これこれ、こういう音を聴きたかったんだよね。

 聴き終わるとすぐに道を南下し、東寺に向かう。これも20分かかったが、これまたちょうどいい時間。東寺自体は5時に開門されているのだが、生身供(しょうじんく)が行われる御影堂の門が開くのは6時で、この中に鐘楼がある。生身供とは弘法大師に食事を供える儀式であり、毎朝けっこうな人がここに来ている。唐から密教を修めて帰ってきたとき、天皇から東寺を託されたのが空海だからね。

 ここでもまた打鐘とともに開門され、僕以外の人は御影堂に入っていく。東寺の鐘は音が小さく、余韻も少なく、西本願寺には及ばなかった。

 ホテルに戻ったのは6時半過ぎ。朝早いから多少涼しいとは言え、7500歩、ちょっと疲れたかな。でもいい季節にくればもっといいかも。とくに西本願寺の鐘はいい。

 でもねえ。西本願寺本来の鐘は12世紀くらいのもの、重要文化財なので、その鐘の音ではない。今使われているのは平成8年に鋳造されたものだ。でも、それがああいう味わいのある音を出すんだよね。東寺の鐘は本来は足利尊氏が寄進したものだったらしいが、今はそのレプリカだ。こっちはいつ鋳造されたのかは分からない。

 結局、古いからいいってもんじゃないのだ。むしろ古いのは鐘としての完成度が足りないのだろう。浅草寺の鐘が余韻が出ないのもそういうことだ。だから、江戸以降の鐘がほとんどないのが惜しいのである。できれば、明治から昭和にできた鐘の音を聴きたいかな。

 ああそうだ。西本願寺には樹齢400年という見事なイチョウの木があった。それも含めて、雰囲気は西本願寺のほうがいいかな。

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