マンチェスターシティの長谷川唯が「女子サッカーアワード」で、年間最高ミッドフィルダー賞を受賞。つまりMFでは世界一ということである。まあ当然といえば当然ではあるのだが、守備的MFであるだけに価値があるなあ。しかも157センチで痩せっぽちだもんね。ほんとにすごい。
ところでこの賞の正式名称は”フェスティバル・オブ・ウィメンズ・フットボール・アワード”である。
お祭りといえば、先日僕は弘前の桜祭りに行ってきたのだった。それも一人で日帰りの弾丸ツアー。こんなことをしたのは初めてだ。
去年は高遠に行って運良くほぼ満開だった。その前は、北海道静内の桜を観に行ったのだが、すでに散っていた。桜の観光は難しい。満開になる日を選びたいなら、電車で行けて、一人で、日帰りが間違いない。天候が悪ければ、何ならその日は行かなければいいしね。
ということで、ほんとは大学病院に行く日だったが、他に替えてもらって、火曜日に行ってきたわけである。この日がいちばん天候的に良さそうだったのでね。
8時頃の「はやぶさ」でまずは新青森に行くのだが、新幹線は満席だったね。仙台や盛岡で降りる人は少なく、新青森でどっと降りた。ああやっぱり、今はみんな弘前なんだな。
盛岡あたりでは、雪をかぶった岩手山をバックに満開に近い桜をポツポツと観ることができる。昔、盛岡に来たときにもこの景色を観たことがある。東京では絶対に観られない、贅沢な景色である。雪を戴いた富士山と桜が同時に観られる山梨のお寺(神社?)が外国人観光客に大人気らしいが、あの人気もよく分かる。でも、岩手山のもなかなかだよ。そして、弘前に行けば、今度は岩木山がある。地元では「お岩木山」と言われるくらいの名山、霊峰だ。弘前では、雪の岩木山をバックにした桜が観られるはずである。
さて、新青森からは在来線に乗り換えて弘前に向かう。途中で「浪岡」という駅があったのだが、これが北畠家の末裔が栄えていた土地なのかと興味をそそられる。近くには浪岡城というのもあるらしいが、今日はただ弘前に桜を観に来ただけなんだから、自分に言い含めた。今回は、弘前の歴史について、事前に4冊本を読んだ。若いときから、初めての土地に行くときには必ずこんなふうに予習をしている。だから、やっぱり弘前は初めてだと確認できたね。
こういう記憶はほんとに曖昧なのだ。何しろ日本全国の都道府県、ほんの数県を除けば、どこも3回以上は行ってるもんで。桜祭りの屋台でイカミンチ(地元では「いがみんち」)を売っていたので、これが食べてみたかったんだよなと買って食べたのだが、一口食べて「あ、これは以前にも食べたことがある」と思い出した。むかし、青森の居酒屋で食べたことがあったのだった。舌の記憶というのも面白い。
弘前に着くと、もう人の波である。みなが弘前公園を目指し、バスを待つ。これがなかなか来ない。10分おきに来るはずなのだが、渋滞でそうもいかないらしい。で、運良く一発でバスに乗れたのだが、10分で着くところが30分かかった。ああ、これは当然だ。弘前は城下町であるから、駅の近辺よりも、会場となっている弘前城公園のほうが賑やかなのである。つまり、より密集した地域にバスは向かっていく。やっとのことで降りると、すぐに弘前城だ。立派な城門をくぐり、いよいよ桜の園に突入。
やっぱりだが、スケールがでかいね。これは上野もまったくかなわない。弘前城公園はとても広くて、大外をゆっくり周遊すると3時間くらいかかるらしい。でもねえ、何というか、せっかく2600もの桜があるのに、広いせいでちょっとまばらになってしまうかな。僕の印象としては、高遠のほうが、桜だらけというか桜まみれ、桜に包まれるという感覚を楽しめる。ただし、同じく広いせいで、ものすごい人出であっても多少ばらける感じ。人の少ない場所もけっこうある。喧噪から逃れることもできるのはいい。
うーむ、「三大桜」と言っても、まったく違う個性を持っているのだな。吉野は行ったことないけど、明らかに他とは違うし。
しみじみと桜を楽しむという意味では、弘前はまったく不向きである。上野に近いかな。何というか、俗にまみれているというか、とにかく露店が多い。中にはお化け屋敷まであったり、猿の曲芸までやっていた。これにはびっくり。
しかし、これも歴史をひもとくと理解できる。
明治の始め、一人の元藩士が最初の桜を植えたころ、たぶん城が公園化するのを毛嫌いした堅物の士族がそれを折ったり抜いたりして、妨害していた。そんな事情でここに桜を咲かすことはずっとかなわなかった。ところが日清戦争が起こり、その戦勝記念として桜を前よりもたくさん植えたところ、さすがにそれは妨害されずに済んだ。「戦勝記念」だからね。もしも折ったりしたら非国民のそしりを受けるだろうからね。士族にはもはや大義がなくなったわけである。で、妨害がなくなり、次々に桜が植樹されていき、やがては2千本くらいになった。そうして桜が大量に花を咲かせ始めると、地元の道楽好きな集団が、ここで盛大なイベントをやろうと企画する。それが今の桜祭りの始まりである。
当時、この祭りは、たくさんの出店が出ての飲めや歌えにとどまらず、サーカスや見世物小屋、特設の映画館やケーブルカーまであるという、とんでもない遊興の祭りだったようだ。これは津軽人の気質なのかとも思うが、東京の人間には分からない、春の訪れに対する東北人のエモーションというものもあるのだろう。そして、弘前の人の誇りというものも関係しているのかもしれない。
元来、津軽の中心とは弘前だった。明治の廃藩置県により、津軽は5県に別れたが、その5県をまとめて「弘前県」と呼称する有力な案件もあった。しかしながら、知事が県庁を青森にすると宣し、「弘前県」は19日で消失した。気の毒な話ではあるけれども、青森という良港を持ち、八戸と弘前の中間に位置する青森市が首都となるのは、政治経済上当然の帰結と言える。であるからこそ、長野県における松本と長野のような確執も生まれなかったようである。とはいえ、弘前の人の気持ち、喪失の思いは想像に難くない。
しかし、弘前の桜は日本中にとどろき、近年は外国人も多数押し寄せる。もちろん弘前の人も来るし、弘前以外の青森県人もやってくる。これは弘前の人にとってはとてつもなく喜ばしいことではないか。吉野という、異質な桜の名所を除けば、何しろ日本一のスケールなのである。経済や政治上では他に譲ったかもしれないが、弘前には桜があり、津軽の歴史があり、弘前大学を代表とした教育文化がある。そのような弘前を世に誇示することができる春の二週間は、地の人にとってとても誇らしい時節ではないかと思う。
ま、僕としては高遠の桜のほうがいいのだが、でも、行ってみて良かったとは思う。弘前の歴史、津軽の歴史を勉強してみて、他にも行きたいところができたし。青森なら、「幻の港」である十三湊に行ってみたいなと思ったし、近場なら群馬の下仁田にでも行ってみようかなとか。これくらいならその日になってからでも決められるしね。
ああ、そうだ。弘前城公園で僕がいちばん衝撃を受けたのは、桜ではなく、齢300年の大イチョウだった。このコラムでも何回か書いて、すっかり僕はイチョウ好きになっているのだが、この老木の佇まい、その迫力はなかなかすごいものである。2600の桜も、あの一本のイチョウに勝てないかも。ジブリの人あたり、参考に訪れてはどうかと思ったね。
でも、入り口近くの案内所の人に「あのイチョウの見頃はいつ頃か」と訊いたら、知らないようだった。ちょっと悲しかったな。あのイチョウが紅葉したときを観たいものである。
ああそれから、帰りのバスも大変で。40分待って、乗ってから30分かかった。弘前城公園も広くて足が棒のようになったし、やっぱり疲れたね。ドアツードアだと、移動だけで片道6~7時間。でも、この年で、日帰りでも大丈夫と思えたのは大収穫である。