いろんな人が僕の体調を気遣ってくれるので恐縮である。その後は、6年ぶりに行ったクリニックでの投薬が功を奏したようで、ほぼ平常運転に戻った感じだ。身体中が痛かった日々から抜け出し、今のようにただ普通の体調であることがどれだけありがたいかを実感している。頭痛もだいぶなくなったなあ。
とくに、大学病院の外来は腫瘍専門であるから、基本手術痕周辺、咽頭部しか診てくれない。と、今にして思う。一方、町医者は鼻、耳、喉すべてを1人で診てくれる。頼まなくてもね。僕の場合は、喉のほうが良くなった後は、鼻の治療に取りかかっている。喉摘後の僕の鼻は、口もそうだけど、呼吸機能を完全に失っているので、鼻をかんだり、すすったりすることもまったくできない。そのことで、鼻腔に鼻水が滞留したり、それが膿になったりするようだ。今回はそれとともにアレルギーがあることも指摘され、これらを根治するための治療、投薬が現在行われているわけである。今回の炎症、熱発事件は、鼻腔内の雑菌、ばい菌が原因というのが医師の見解だ。
大学病院ではまったくこういうことがなかった。血液検査や造影検査の結果から腫瘍の心配をするだけでね。僕の主治医たちもみな鼻や耳に関しては素人なのだろう。鼻や耳の問題よりも、他部位への転移ばかり懸念していたよね。もちろん、それはそれで大事なことなのだが。まあ、今回は町医者の良さというものを再認識したかな。ほんとはこの医師はパーソナリティ的に嫌な感じなので、それが足が遠のいていた理由なのだが、しかし、その存在意義は認めなければなるまいね。
さて、スペインの高速鉄道がまたやらかした。前回は今年の1月だったよね。あのときは40人以上死んだ。今回の死者は50人以上。68人? 前回よりもひどいってことか。それにしても1年で2回か。ああいう大事故の後は当面そういうことはないだろうというのが普通の考え方というものだがねえ、ラテン系の場合は当てはまらないのだろうか。
前のときもここで述べたが、スペインでは鉄道予算の全体のうち10~15%がメンテナンス費用。一方、日本では約45%となっている。メンテナンスに半分近くかけるなんてと、多くの人が思うのかもしれないが、安全、リスクマネジメントというのはそういうものなのだ。そこに金を惜しむととんでもないことになる。学習しなくちゃ。スペインも自国でやるのはあきらめて、今後はJRにすべて一任するほうが結局は安上がりではないのか? 日本の車が世界の市場で相当のシェアを持つように、世界の鉄道市場では、JRがそういう存在になってもまったくおかしくない。インドネシアとかカリフォルニアとか、身にしみて分かったと思うのだが。
鉄道と言えば、この間ユーチューブを観ていたら、札幌を旅行している外国人が地下鉄でラッシュアワーの時間に乗り合わせてしまい大変だったというのがあった。しかし、そんなに激混みしているにもかかわらず、優先席には誰一人座ってなかったことをひじょうに奇妙な出来事として報告していたのである。 うーむ、そんなことがあるのかと僕も不思議に思う。札幌市民はそんなにもマナーを遵守するのだろうか。いやあ、むしろけっこうゆるいほうじゃないの?
ということで調べてみたのだが・・・・知らなかった。
札幌では僕たちが「優先席」と呼んでいるエリアを「専用席」と名づけ、たとえ空いていても普通の人は座ってはいけないというルールを定めているのだ。これは全国で唯一、札幌だけなんですと。東京では、僕が若い頃と違って、若い奴でも我先に優先席に座るもんね。こういう現状では「専用席」もありかなあと思わないではない。
ああ、「老人専用車両」というのはどうだ。女性専用車両があるくらいだし。でも、あんまり乗りたくはないかな。
先日、その優先席で、僕の隣でかなり大柄の外国人が二人、何か楽しげに会話していた。見た感じは20代、いかにも今どきの若者という感じだが、その話しぶりからしてわりと知性的な感じでもあった。もしずっと我関せずにおしゃべりを続けるようだったら注意してやろうと思ったのだが、こいつらならお年寄りが来たら席を譲るだろうなと僕も安心していつものように読書を始めた。
そうしたら、ある駅に着いたとき、一人が立ち上がり、目の前に立った男性に席を譲ろうとしたのである。すると、もう一人もこれに続いて立ち上がった。よしよし、なかなかマナーのある旅行者である。見どころがあるぞ、君たち。スマホを見て知らんぷりしている日本の若者よりもはるかにちゃんとしてるなあと思ったのだが、その譲られた男性を見ると、どう見ても老人とは言いがたいのである。僕が見たところは50代後半という感じ。外国人から見すれば、日本人の年齢など判別しがたいんだろうね。
だから、その男性もかなり戸惑いを見せたのだが、目の前で巨躯の外国人が立ち上がり、自分に席を譲る素振りを見せたものだから、その迫力に押されたのだろう、「ど、どうも」と言って席に座った。席を譲られるなんて経験は初めてだろうな。その戸惑いもダブル、トリプルだろう。でも、それが正解だ。座ってあげて正解だ。彼らの気持ちを無碍にしてはいけない。
そういえば、席を譲られた経験はないなあ。そんなふうには見えないのだろうし、まあそれだけ若いという証明でもあるからいいかとは思うのだが、実は僕は座わらないでいると、いろいろマズいことが起こる人間なのだ。座っていないと痰の処理、咳への対応が難しい。もしも痰を吐き散らかしたり、咳を止められないでいると、僕の近くにいる人はパニックになるかもよ。座っているとそれへの対応、処置ができるし、そもそも座って静かにしていることで痰や咳も治まってくれるのだ。飲み屋なんかで僕と長く一緒にいる人は分かるけど、僕の前には痰の処理のためのティッシュが山盛りとなる。こういう席では飲んだり食べたり、そして話すからね。行動量が多くなるにつれ、痰も多く排出されるのだ。電車で立つ場合、5分くらいならいいけど、20~30分となるとなかなかたいへんなのである。そんなこと、外見からは分からんもんね。
でも世の中には僕なんかよりも「優先席」を必要とする人もいる。そういう人が座れないでいると、しかたないから僕が席を譲るようにしている。周囲の若い連中は、スマホを見てたり、寝てたりして動く気配がないときが多い。お前ら、優先席にいるんだから緊張して「そのとき」に備えろよなと思うのだがね。
だからねえ、最近では、誰か「優先席」を必要な人が乗ってきたときのために、自分は席を確保しているのだという意識でいるんだよねえ。周りに腹を立てるのも自分のメンタルに良くないし、そういう割り切りを持つことにした。それにしても、73歳の障害者が席を譲っていることについて若い連中はどう思うんだろう。僕は今年だけで5回は席を譲っている。今年古希となった僕の友だちも席を譲ることが多いという。
実は昨日もそういうことがあって、僕が席を譲った後、僕の隣でスマホを見ていた奴は、なぜか急に席から立ち上がり、ドアの前に立ち、何分も経ってから降りていったんだよね。ああ、あれは自分を恥じたのかな。あのまま座っていることにいたたまれなさを感じたんだろうなと思う。それなら僕のやっていることも少しは意味があるのかな。今後も席を譲り続け若い人の良心に訴えると、そんな地道なことをしていこうか。
