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鶴の受難

 今週はちょっとずつ冴えない。昨日の夜あたりから、坐骨神経痛が始まっているのか、腰からお尻、背中も痛く、なかなか眠れなかった。それでも睡魔が勝ったようなので、そんなにひどいものではないのだが、今日もまだ痛い。今夜も眠れるのか心配だ。

 先日は上野の寛永寺に出かけた。浅草寺の鐘を聴いたあとは寛永寺の鐘を聴かないわけにはいかないではないか。 

しかも、浅草寺の鐘の音がまだ耳に残っているうちに寛永寺のを聴きたいではないか。

 

 ついでに上野の森美術館での「五大浮世絵師展」を観る。「五大」とは北斎、歌麿、写楽、広重、国芳で、菱川師宣は入っていない。このところ江戸情緒に浸っているのでちょうど良いのだが、とくに浮世絵が好きなわけじゃないので、今回は広重の「名所江戸百景」が観られればいいかという感じである。

 行ってみると、平日の午前にもかかわらずけっこうな人気である。客のほとんどは日本人、お年寄りが多い。自分もそうだけど。僕は別に浮世絵好きじゃないが、点数がひじょうに多いので、浮世絵ファンにはたまらない企画ではないのか。僕は他の絵師は飛ばして、広重のフロアを目指した。そこにも何十点かあるのだが、しかし、「江戸百景」が少ない。もっと多いと思ったのに。とくに鶴の舞う絵が観たかったのだが、それもない。

 まあ絵の出来はよくないが、吾妻橋から金龍寺(すなわち浅草寺)と富士を望む絵が面白いかな。当時は、吾妻橋あたりから、浅草寺の五重塔と富士山が一緒に観ることができたのだ。山梨では、五重塔と富士山、春には桜も一緒に観られる場所がインバウンドに大人気だが、当時にしても、隅田川で船遊びをしつつ、この景色を楽しむのは最高の贅沢だったのだろう。

 ちょっとがっかりしつつ、12時に合わせ、寛永寺まで歩く。浅草寺とは違い、観光客はほぼいない。で、鐘楼のところで住職の登場を待ったのだが、間際になっても来ないんだよね。今日はやらないのかと思ったら、寺の奥の方から小さな鐘の音が聞こえてきた。えー、あっちなの? 急いで行ってみると、小さな半鐘を住職が叩いている。叩き方もまるで予想外で、リズム良く連打するのだった。で、2メロくらいで終わる。どういうこと? たぶん、正午の鐘はこうなのかもしれないな。大きな鐘の音を聴くには、朝か夜じゃないとだめのようだ。また朝の六時に来てみようか。我ながらご苦労なことである。

 で、またしても、ちょっとがっかりしつつ、上野駅に向かうのだが、上野公園は広いし、しかも寛永寺もそこから離れているしで、けっこう足が疲れた。スマホの歩数を調べると、もうすでに8000歩である。おなかも空いたし。ということで帰りは東京駅経由で帰ろうと思い、ああ、そうだ、それなら駅弁を買って帰ろうと思い立った。グッドアイデア。で、ウキウキと駅弁屋「祭」に行ってみるのだが、いつもここで8割方買っている「牛肉ど真ん中」がないではないか。売り切れみたい。ああ、今日はすべてがうまくいかないぜ。それでも代用に買った駅弁は美味しかったので良かったのだがね。 

 さて、歌川広重は鶴の絵を何点か描いているが、「江戸百景」で描かれている場所は三河島あたりである。昔、このあたりは江戸でも有数の鶴の飛来地だった。このあたりは鶴が好む湿地帯だったからだ。しかも、幕府御用達の狩り場に指定され、大事に保護された地域であった。

 というのも、当時、将軍や大名が好きだった鷹狩りでの最高の獲物は鶴だったからである。キツネとかウサギではまったくないわけ。当時の食事の中では、何といっても鶴の汁物が一番のご馳走だった。7世紀来の肉食禁止は続いていたものの、鶏以外の鳥類は普通に食材にされており、その中でも鶴がいちばん美味いらしい。加えて、「鶴は千年」というくらいのもので、ひじょうに縁起の良いものとされていたから、ご馳走としての付加価値が増すわけである。

 それに続くは白鳥ということだが、白鳥は見るからに大きなアヒルであるから、美味いに決まっているよね。しかも、鶴も白鳥も、鷹にとっては簡単に捕まえられる獲物である。そんな獲物でいっぱいの三河島近辺は、江戸城からもごく近く、幕府にとってもっとも良き狩り場だったようだ。それが広重の絵からも見て取れるというわけである。

 先日、カラスの撃退に鷹を使うというのをニュースでやっているのを観て、当時の鷹狩りとこの広重の絵を思い出した。随分前だが、どこかの駅前あたりに乱舞するヒヨドリの大群を追い払うにも鷹が有効のようだ。思いがけずもそういう需要があり、現代でも鷹匠という稼業が細々と生き残っているのはとても興味深いことである。

 ちなみにカラスも食べてみればけっこう美味いらしいよ。鳥って何でも美味いんだよね。ああ、でもアフリカで食べたダチョウは美味くなかった。たぶん調理法が良くなかったとは思うのだが。脂がきつかったね。ちなみに、僕は鳥肉料理が大好きである。他の肉料理よりも。博多の水炊き、秋田の比内鶏、名古屋コーチンの焼き鳥、タイのガイヤーン、韓国の参鶏湯。みんな美味いなあ。

 しかし、当時は食べられなかった牛や馬を今はいくらでも食べられるが、当時珍重されたご馳走の鶴や白鳥を今は食べることができない。もちろん僕らの認識や感覚では、鶴や白鳥は「食べ物」ではなくなっているのだが、だまされてもいいから、1回くらいその味を確かめてみたいとも思うのだった。どこかのマタギみたいな人にでも頼めないかね、冥土の土産みたいなものとして。

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