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言葉の力

 今週エアロバイクを漕いだ。約一年ぶりかな。二日とも10分くらいでやめたけど。グランツールの季節でないのが残念。今後は徐々に時間を増やしてみようかと思っているが、時間よりも毎日のようにやっていけるかどうかのほうが肝心だね。再来週には検査入院があるのでとりあえずそこまでは。

 中国の駐日大使が日本語でツイッターを始めたというニュース。当局の意思がそこにあるのかは不明だが、さすが右手で相手の頬を張りつつ、左手では握手を求めるという精神文化の国だなと思う。日本の駐中大使も早速中国語でツイッターでも始めたらどうか。そうすれば悪化するばかりの両国での微笑ましいエピソードになろう。外交の基本はみやみに敵を作らないことでしょ。それに日中関係は、対韓、対朝関係にもおおきな影響あるし。中国、韓国と付き合うには、その独特の精神性をよく理解しないとね。こういうのっておおきなチャンスではないのか。

 前回中国の古代医学の話をしたが、いちばん興味深いのは呪術とか巫医だよね。今年になって僕は、喉頭ガンで耳鼻咽喉科、肺炎で呼吸器科、前立腺で泌尿器科と3科を渡ったが、明の時代には13科があり、そのうちのひとつに「祝由科」がある。要は、薬などを使わず呪術で治療するというものだ。「祝」は「呪」と同義で、そもそも「呪」は悪い意味ではない。日本語の「言祝ぎ」もここからきている。

 「祝由科」は現代でいえば、カウンセリング科のようなものだね。なぜなら、呪術の手段として言葉がもっとも重要であるからだ。実質的には、祝由は唐の時代からあったとされ、陰陽道などに受け継がれているものだが、医学の制度の中に明確に組み込まれたのは明の時代ということのようだ。しかし、その命はあまり長くなく、明国がなくなると潰えている。その後・・・約400年、薬を使わない医療、現代的には精神療法は、日本の医療では独立していないが、諸外国では科の一つとして機能している。日本の医療界は、医師(会)の帝国だから無理ね。だから、TCCをつくったということなのだが。

 西洋的なカウンセリングの源流は、教会での告解ではないかと思われるが、アジアではやはり中国だなあ。祝由。告解はほぼイコールで懺悔、話すことによって解放されるという原理。祝由では、他者の言葉によって解放されるという原理になるのかなあ。うーん、東西で微妙に違うよねえ。もっとも、アジアでのそれは病んでいる人間ということか。キリスト教でのそれは悩んでいる人間ということか。

 実はこのあたりのことは壮大なライフワークとしてプロットもけっこうできていたのだが、気力、意欲がなくなってやめてしまった。PCの古いデータを掘り起こすと、ある時期から執筆の依頼を断っているメールが2通あった。あまり覚えていないが、そんなことはとっても珍しい。この頃から、ちょっと気力が減退していたようだ。中国の祝由やキリスト教の説法、陰陽師、鎌倉新仏教など、いろいろと調べていってて、その作業は面白い感じだったのだがね。まあしかたない。

 先週の菊花賞は、最後に3連複が引っかかった程度。2,3着がエピファネイア産駒だったのが、「競馬はブラッドスポーツ」の謂れである。今週の天皇賞(秋)では、マイルまでなら怪物のグランアレグリアが2000mを克服するのかどうかが争点。しかし、軽い馬場の東京競馬場ならどうにかしてしまうかも。ならばグランアレグリア、コントレイル、エフフォーリアの3頭立てみたいなものではないのか。この3頭のボックスで、馬単、3連単か。

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