先週は坐骨神経痛が痛くて、金曜の朝、かかりつけのクリニックに行き、薬をもらう。飲むと嘘のように痛みが引くのだが、ちょっと頭と身体が朦朧とする感じで、外を出歩くのはリスキーだ。で、休むと。結局、この神経痛は放っておいても出かけられないし、薬を飲んでもダメなのである。幸いなのは数日で治ることで、翌日には腰のあたりが少しモヤモヤするが、もう薬は不要となる。今のところは、1年に数回で済んでいて大事ないけど、今後はどうなっていくものか?
この間、駅弁を買えなかったことを嘆いたが、先週、近所のスーパーで何と「牛肉ど真ん中」を発見。何という偶然か。このスーパーでは、たまにだが駅弁を2~3種類販売するときがあるのだ。この日も3種類の駅弁の中に「牛肉ど真ん中」、しかも夕方近かったせいか、4割引である。今日中に食べればいいんでしょと喜んで買う。やっぱり美味かったね。
弘前に桜を観に行ってから、一人でいろんな所に行ってみたいと思うようになった。一人だと、その日の天気で決められるし、自分の興味だけに集中できるしで、なかなかいい。浅草、上野と鐘を聴きに行って、次のターゲットは群馬県の下仁田である。下仁田がいかに特殊な地域なのか、それを自分の目で確認したいと思ったのだった。
ネギとコンニャク 下仁田名産
上毛カルタの「ね」は下仁田だ。ただし、コンニャクはどこにでもある。下仁田といえば何といっても「下仁田ネギ」である。古くから献上物として名高い。
で、この下仁田ネギは確かに他のネギとは違うのである。埼玉に「深谷ネギ」京都に「九条ネギ」などあるが、下仁田ネギの個性ははるかに他をしのぐ。関東特有の白ネギ、異様に太くて、異様に甘いんだよね。普通、ネギって辛くて苦いものでしょ。子どもが嫌いなものでピーマンと双璧でしょ。で、しかも、その味と風味によって、ネギはあくまでも薬味、添え物の立場である。しかし、下仁田ネギは違う。主役は張れないまでも、準主役くらいにはなり得るのではないか。
で、下仁田ネギは何でそんなに特別なのか? 誰でも不思議に思う。ネギなんてどこでも獲れる野菜である。しかし、何で下仁田なのか?
ということについて、地質学と食物学の両方からアプローチすると、そこに同じ答えが出てくるのである。
群馬県下仁田は、高崎から電車で約1時間、県の西部、山間の集落地である。北と南に低い山が連なり、その底のやや細長く拓けたところに下仁田の町がある。言うならば、浅い谷地だ。街中を流れる川には、昔は大きな水車があったということだ。その水車が24時間、コンニャクの粉をひいていたそうな。
下仁田の東は高崎方面、西は軽井沢方面。群馬と言えば空っ風が有名だが、基本は西から東に吹き抜ける。下仁田はその通り道なのだ。このことがネギと大きくかかわるのだから面白い。
下仁田ネギは昔から有名で、たいへんなブランドである。これを大量に作れば、農家も県も大いに潤うだろうと考えるのは必然だろう。そこで、下仁田ネギを他の畑に移植するのだが、それは下仁田ネギには育たないのである。これはいくつかの農業試験場で実験を行ってもそうだった。どんなに工夫しても、他の場所では、下仁田ネギはできないことが分かってきた。そうなるとこれは土壌の問題となる。なるほどねえ。これは分かるな。韓国人が日本のシャインマスカットやイチゴをパクって向こうで育てようとしても、うまくいかないのと同じ理屈だ。
そこで地質学的な検証が行われ、謎がかなり解明されたのである。その前に、知らない人もいるから、関東地方の土壌の特性について話さなければならない。
東京や関東の人間にとっては常識なのだが、関東地方の土地は、「関東ローム層」というものにほぼ覆われている。黒い土の地面をちょっと掘ってみれば、赤い、レンガ色の土が出てくる。これが関東ローム層。富士山などの火山灰が積もったものである。僕らが「赤土」と呼んでいるものだ。古い常識では、これはすべて富士山の火山灰だとされてきたが、どうも富士山だけのものではないらしい。浅間山、金時山などの火山灰もあるということだ。
この赤土のおかげで関東平野は、広大ではあるものの、その土壌は肥沃とは言えない。水はけもきわめて悪い。こういう痩せた土地に向いているのが、ソバなどの雑穀であり、ネギやダイコン、コンニャクなどの野菜、根菜だった。関東はソバ文化、関西がうどん文化となったのは、嗜好の問題ではなく、こういう土地の事情に由縁しているわけよね。ちなみに、東京人の僕はうどんのほうがいいのだが。
関東地方の農作は、この赤土との戦いであり、灌漑や肥料など、ものすごい苦労や工夫を重ねて、少しでも実りある土地にしていったということだろう。そのうち書くこともあろうが、徳川政権時代、五代将軍綱吉は農作にひじょうに力を入れた人である。昔の歴史の常識では、史上最低の将軍と思われていたが、近年の歴史学の見解では大きく逆転、歴代でもトップクラスの名君だったのではないかとも言われるようになっている。おそらく彼は上州の館林藩主時代から、この痩せた土壌と格闘していたことだろう。将軍になってからも、鷹狩り先(今の小松川)で食べた野菜に感動、これを「小松菜」と名づけ、江戸の名物野菜とした。あるいは、「練馬大根」をつくったり、基本は不毛の土地からより多くを収穫できるように努力した将軍なのである。
さて、関東ローム層という大敵がある中で、地質の調査により、下仁田の段丘地帯にある「馬山」という地区は、唯一この赤土がない土地であることがわかった。群馬県も類に漏れず、ほぼ関東ローム層に覆われているのだが、下仁田の馬山地区だけは、降ってきた火山灰が空っ風によって吹き飛ばされ、段丘であることをもってそこに堆積しなかったのである。そして、この地域は、群馬でも関東でも、きわめて希な土壌となった。今でも、下仁田ネギは馬山のオンリーワンの作物であるから、この土壌を他に再現することもできないのであろう。
ということで、実際に下仁田に行くことにしたのだが、ひじょうに都合の良いことには、徒歩5分、区役所前のバス乗り場から高速バスで下仁田に行く便があった。料金もすごく安い。しかも、到着バス停は「道の駅しもにた」というところで、まさに「馬山」地区なのである。昼前にここに到着。観光案内所があるので情報をゲット。タクシーを呼び、馬山地区の高台まで行ってもらう。すると、そこかしこにネギ畑もあり、浅い谷底になっている下仁田もよく見下ろせる。確かに、風の通り道のように見受けられる。そしてちょっと東に下ると、あれは富岡あたりか、谷はなくなり、すでに関東平野の端っこという感じになっていく。あそこら辺ももちろん風は強いのだろうが、平地の分火山灰は堆積していくのだろう。
天気の良いときじゃないと意味が無いから、こういう場合一人旅は正解である。もう一カ所の高台にも行ってもらい、町の中心部を見下ろし、そこから下仁田駅に行く。帰りのバス便は夕方なので、帰りは新幹線だ。下仁田線に乗って高崎へ。高崎ではいつも行くトンカツ屋「ポンチ軒」で、ヒレカツでビールを飲みたかったのだが、ランチタイムをわずかに越えてしまったのでダメだった、残念。下仁田線が1時間に2本しかないとは思わなかったんだよね。
でも、高崎駅で駅弁屋を除いたら、あれ懐かしや、「峠の釜めし」がある。しかも陶器ではなく軽いパルプの容れ物だ。今日はこれを買って夜飯にしよう。