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発明の母

 カムチャッカの大地震と津波警報にはびっくりしたが、ニュースを見る限り、近辺に津波被害はあっても、人的被害がほとんどなさそうなことにも驚く。日本やハワイとかでもみなが警報に従い、避難をしている映像が流れた。14年前の東日本の大震災から、日本だけでなく、世界が学んでいるのだなと分かる。

 幸いなことに今回は津波の規模が小さかったようだが、1960年のチリ地震では、地震の22時間後に日本列島に津波が押し寄せている。いちばんすごかった三陸海岸での津波の高さは8メートル、全国の死者は139人というのだから脅威だ。日本に来る前にはハワイに到達し、そこでは61人の死者が出ている。だから今回もハワイでの映像だった訳である。

 僕は小さかったのでこの地震を覚えていないが、このデータがあるからこそ、今回の津波警報や注意報はすごく長引いたのである。ゆめゆめ気象庁の警報は大げさだなどと思ってはならない。今回はラッキーだったのだ。しかし、ちょっと前に羅臼の展望台から国後島を望んだこともあるのだが、千島列島が本来的に日本の領土であると考えるならば、今回日本には大きな被害が出ているということになる。そして、戦争に注力しているロシアが千島の復興をちゃんと手掛けるのだろうか、懸念されるところではある。それでも、津波被害は甚大だが、死者がいないらしいこと、そして冬ではなかったことは本当に幸いだった。

 さて日本ではあいかわらずの暑さが話題である。このたびは兵庫丹波市で最高気温が更新された。41,2度。いったいどういう感覚なのだろう。昔スペインはマドリードで40度を体験したけれど、あちらは湿気がないので日陰に入ればけっこう涼しかった。日本の夏は違うからねえ。最近は外国人観光客も少ないように思える。夏は日本には行かないほうがいいという情報が周知されてきたのかもしれない。それは正しい。

 であるから、こんなときにゴルフなんかするのは自殺行為に等しいわけだが、今年の僕は、暑さ対策の新兵器を携えているのだ。それはファンつきのベスト(空調服)である。近年建設作業員さんたちがよく着ているやつだ。去年あたりから買おうかどうしようか迷っていたのだが、そろそろ完成度が高くなっているだろうと思い買ってみた。街中でも見る機会が多くなったしね。

 で、これが大正解。猛暑の中でもわりと平気。暑さには人一倍弱い僕だが、いつものように暑いとは感じない。服の中に風を巡らすことによって汗を気化し、気化熱が奪われることによって身体周りに快適な温度が維持されるという仕組みなんですと。なるほどねえ。この奇想天外な発明のおかげで炎天下で仕事に従事する人たちがどれだけ助かっていることだろうか。ゴルファーにはもちろん、子どもや老人の熱中症予防にもいいよね。海外でも注目の的のようだ。観光以外は外貨獲得があまり見込めない中、世界の温暖化現象の中で、これはものすごいヒット商品になる可能性があると見たね。とくに中東やアフリカにはいいんじゃないの。

 ネックと言えば、バッテリーがちょっと大きくて重いのと、充電にすごく時間がかかることかな。まあ、でもこのくらいのことはどうってことないレベルである。2年前、「おにやんま君」でも思ったが、やっぱり日本人はすごい。でも、それもこれも日本の酷暑があってこそ、生まれた発明ということだろう。北欧あたりでは、こんな服とても考えつかないよね。何ごとも必要あるいは、窮状さえも独自のものを生むということだな。

 たとえば。先週は夏の京都に行ったわけだが、京都の夏の代表的な食と言えば、ハモ料理である。前回僕は水茄子を食べたいと思っていたのだが、あれは大阪は泉南のものであり、京野菜ではない。だから京都以外のところでも食べられる。でもハモ料理は京都以外で食べることは滅多にないでしょ? それは骨切りとか面倒だし、第一にはそんなに美味い魚でもないからである。僕はハモと松茸の土瓶蒸しは、最高の一品とは思うけど、それ以外は食べたいと思わない。土瓶蒸しは高すぎるけどね。

 それにしても、そんなハモをなぜ京都人は好きなのか? なぜハモ料理は京都でのみ発展したのか?

 その答えは京都が食材にはひじょうに恵まれない土地であったからだ。何しろ海が遠い。若狭から運ばれる鯖が代表だが、みな塩漬けの魚ばかりである。車での輸送がない時代には、新鮮な海鮮など一切なかった。そんな中で、ハモだけが違ったのである。この魚は見た目はグロテスクで、骨がものすごく多く、他の魚と比べればさして美味くもないのだが、とにかく生命力がすごい。水揚げされてから4~5日は生きているのである。つまり京都に届いてもまだ生きているという、唯一の魚なのだった。そこで京都人はこの魚を珍重し、この魚をどうやったら美味く食べられるかに腐心した。それが京都独特のハモ料理となったというわけである。

 京料理というのは、全般的にそういう食財の乏しさから生まれているとも言える。たとえば精進料理とかね。かつて1000年以上続いた肉食禁止令があり、都はそのお膝元であり、他国よりもさらにこれを守っていたことだろう。そうやって肉も魚も食べられない環境の中で、それでも食贅沢な公家や皇族のために、野菜や穀物に特化した料理や食文化が発展したということである。

 ま、要するにハモしかなかったから、ハモ料理が発展したと。他の国では他に美味いものがあるからわざわざハモを食べないと。そういう単純なことである。

 「徒然草」の兼好法師は、鎌倉に滞在しているときに、関東では堅魚(カツオ)という下魚を刺身で食べていると馬鹿にしたようなことを書き残している。京都人である彼もまた、新鮮な魚の美味しさをまったく知らなかったわけである。

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