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菅野所長のエッセイ:敗者の振る舞い

 世の中には、ちょっとした出来心とか、軽い気持ちだったのにということがよくあると思うが、今週の自分がまさにそうだった。あんなに深入りするつもりはなかったのにねえ・・・。

 と、これは何の話かというとTVドラマの話なのである。最近二階堂ふみという若い女優がいて、これがどうも気になる。そこで何かに出てないかと調べたら、「Woman」というのに出ていることがわかった。シングルマザーがいろいろと苦労して生きるみたいな話なので、別に関心はなかったし、キャストを観ても僕にとっては魅力的でもないし、でも二階堂ふみがどういうことになっているのか、それだけを確かめるつもりで、ケーブルの見逃しで第一話を観てみた。そしたらもう、これが嫌になるほどの悲惨な設定、何もそこまでしなくてもいいんじゃないのという内容なのである。しかし当初の目的を果たすべく我慢して観ていくと、ドラマ自体にどんどん引き込まれていく。まあ、1話、2話が悲惨のピークで、以降は次々に種明かしがされていったり、行く末に燭光がまたたいている感じもしてくる。

 どうも世間では女性を中心に評判になっているらしい。「半沢直樹」ばかりに注目していたが、ま、半沢は男のドラマ。しかも日曜なので自分にも観られるし。「Woman」はやはり女性のドラマだろう。そのおどろおどろしさはけっこう半端ない。これは観たくないなあと思いつつ、こういうところから目を背けてはいけないような気もして、結局、3日間で9話まで観て、先日最終回は直に観た。

 こんなに遊びなくシビアなドラマが放映されていることにすこし驚いた。ドラマというよりもドキュメンタリーを観たような印象さえある。
 肝心の二階堂ふみ、ドラマの中でも最も鍵となる役どころだが、キャラが奇妙すぎて評価は難しい。陽の満島ひかり、陰の二階堂としてもっと際だたせてもよかったのではないかな。しかし、まだ若いのに、その妖しげな存在感はやっぱりただ者ではないとも思わせた。浅川マキ、カルメン・マキ、あのあたりの系譜だな、だいぶ古いが。でも、そう考えると自分がひかれる理由がちょっとわかってきた。僕はああいうのが好きなんだ。

その二人の母親役の田中裕子。母と言うよりも、もはや堂々たるおばあちゃん女優と言ってよく、役への理解がちゃんとしているなと。別に好きな女優ではないが、このドラマを支えたのは彼女だったことは認めざるを得ない。結局、所々難はあるけど、必見と言ってもいいくらいのものでした。何でも観てみるもんだね。そうそう、ちょっと前に「児童心理」という雑誌に、子どもが親を赦すかどうか、親は子どもに赦されるかどうか、というようなことを書いたのだが、このドラマのテーマもそこだったな。

 さて東京でのオリンピック決定。トレーニングの成果を発揮し、それそれのプレゼンは確かになかなか良かったと思う。笑顔やジェスチャー、日本人が苦手な自己表現を克服しようとしてた。しかし、汚染水は完全にコントロールされているとの首相の言葉には気持ちがフリーズした。おいおい、そんな大嘘言っていいのか? こんな場で。

 時間をおいて考えてみると、IOC委員だってそんなことは先刻承知だろうと。しかし、7年後なんだから何とかなるんだろう、現状ではトルコも難しいと、こういうことなんだろうな。そして、よくよく考えてみれば、こういうことでも言わないと政府は本気で取り組まないしな、結果的にはよかったのではないかと思えてもきた。

 しかも、僕が反対する背景のひとつには、かつて自分の目でオリンピックを見たことがあると思う。でも、49年前、生まれてない人もたくさんいるわけで、そうした人にはやっぱり僥倖であることだろう。多くの人が喜んでいるのならそれでいい。

 いちばん印象的だったのは、トルコの関係者の反応である。東京に決まった瞬間、彼らは大いに落胆はしたが、すぐさま笑顔になり日本に向かって拍手を送ったんだよね。1890年、トルコの軍艦が和歌山沖で遭難したとき、串本の人たちが懸命の救助をしたことは今もトルコの教科書に載っているという。そういう世界で最も親日国とは言っても、こんなときにこういう態度っていうのはなかなかできないのではないか。国際的であるというのは、もっとオーバーアクションにとか、あふれんばかりの笑顔でとか、そういった振る舞いを指すわけではない。こういうところに国の民度というものが表れるんじゃないのか。

 だから、できることなら観たかったね。もし東京がイスタンブールに敗れたら、そのとき彼らはどう振る舞えただろうか。たぶん、首相と知事は、”外国人のように”オーバーに落胆するしかできなかっただろう。

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