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揺れる小舟

 今週はあまり良いスタートではないなあ。なでしこジャパンはブラジルに2連敗し、長嶋茂雄氏が亡くなったし。

 僕は年寄りなので長嶋の現役時代からよく知っている。巨人は大っ嫌いだが長島だけは別だったなあ。後楽園球場に観に行くと、その人気はすさまじく、敵も味方もなく皆が長嶋を応援する。長嶋の躍動する姿を見れば誰もが魅了されてしまうわけで、僕もその一人だった。巨人は嫌だが。

 とはいっても、女、子どものミーハー人気じゃないんだよね。応援している大部分はおじさんで、帰りの水道橋の食堂や飲み屋では、そのおじさんたちが口角泡を飛ばして長嶋談義をするのだった。それは1960年代。

 後々、東京ドームでイチローを観に行ったときもそうだったね。イチローが打席に入ると、ドーム中が固唾を呑んで静まりかえる中、オリックスファンの、独特な「イチロー」コールだけが響き渡る。それを観たときに、これは長嶋のときと同じ、敵味方関係ないスターなのだと思った。それが1990年代。

 現在なら、大谷が出るとそういう状態でしょ。日本は当然だが、アメリカでもブーイングは少なく、アウェイであっても大谷見たさの観客が増えるという現象が起きている。長嶋、イチロー、大谷、こんなスーパースターが輩出されるのだから日本の野球界は幸運だよね。

 で、日本の野球人気を築いたのは間違いなく長嶋だったのである。合掌。

 なでしこジャパン、長谷川唯の欠場ということで、予想通りブラジルには勝てなかったね。とくに初戦はひどかった。谷川萌々子ちゃんもいいとこなしで、熊谷、南を揃えたDF陣があいかわらずひどい。この二人を外した2戦目はちょっと良くなったな。これでニールセンも多少は分かってくれることを望む。アジアでの戦いとは違うんだから。

 それにしても長谷川がいないとどうにもならない。彼女がいないなでしこをほとんど観たことがなかったから、あまり確かなことは言えなかったけど、長谷川と山下が健在なうちでないと世界一の奪還など夢のまた夢だなと痛感させられた試合だった。つまりチャンスはあと1回だ。

 今回はブラジルに大きな自信をプレゼントしただけの遠征だったな。長谷川がいないとはいえ、日本に完勝して、若手の台頭するブラジルはさらなる強敵になっていくね。スペイン、ブラジル、イングランド、そして北朝鮮。たぶん現在のベスト4ではないか。日本はアメリカとともにこれに次いでいる感じ。

 今月末にはスペインとの親善試合があるのだが、長谷川は復帰できるのだろうか。もしいなければ、ブラジル戦以上の惨劇が待っているだろう。ニールセンの采配も微妙だなあ。大事なPKを長野に蹴らせるという悪手。図抜けてシュートが上手い谷川がいるのにねえ。

 こういうのって、協会の責任だと思うんだよね。何でかというと、着任したばかりの監督っていうのは、成績不振による解雇を恐れて、計算できるベテランを使いがちになる。W杯の本番は2年後なんだから、その頃にピークになるような選手を試さなきゃいけないのだが、協会の理解や保護がないと、思い切った世代交代、選手起用はなかなかできないんだよね。あいかわらず熊谷を使う所を見ると、ニールセンもやはりそういうモードになってるんだろう。 初戦、動きの冴えない谷川をハーフで交代させたのはいいとしても、第2戦ではまったく使わないなんてのは、愚の骨頂だ。谷川には、世界トップレベルのスピードと他選手との連携をもっと経験させないといけないのに。

 とにかく、協会はニールセンに負けてもいいから若手を使ってくれと言わなきゃ。それから右サイドバックに清家を使えば、DF陣の問題が一気に解消できるんだがね。

 女子ゴルフ、優勝賞金3億5千万をかけた全米女子オープンの最終日は、ものすごい見応えだった。一時は、1打差の2位に、竹田、渋野、西郷の日本人3人が並ぶということもあったが、難コースを経過していくうちに、一人ずつ脱落していく。しかし、みなよく踏ん張った。最終的には、竹田が2位タイ、西郷が4位タイ、渋野が7位タイという結果。世界一の大会で、日本選手が3人もトップ10に入るというのがすごい。ちなみに2位でも1億5千万、7位でも5千万の賞金がもらえる。

 優勝したスウェーデンのマヤ・スタークは、映像を観る限りほとんど危なげない感じだったが、実は最終ホールのひとつ前までリーダーボードのスコアを見ていなかったらしい。内実はいつ脱落していってもおかしくなかったようで、自分の暴走を止めてくれたキャディのおかげで優勝できたと語った。基本強気な欧米選手がこんなふうに謙虚になるのが全米オープンという大会なのである。

 そんな中、観ていて、とくにハラハラドキドキするのはやはり渋野日向子である。若くして全英女子オープンを勝ってから数年後、理解できないフォーム改造をしてしまい、目も当てられない低迷。1,2年前から再びフォームを元のように戻し始め、今に至っている。あの奇怪なフォームはかなり矯正されたものの、最悪の頃の癖は抜けきらず、ときどきとんでもない凡ミスをやらかす。何でそうなるの?! そんな様子を見ていると、ほんとに心がかき乱されるのである。あれほど素晴らしいポテンシャル、才能を持った選手なのに、何でこんなことになってしまうんだろう? 

 渋野を応援するのはもう止めようと、何度思ったことか。もう見限らないと、精神的によくないと。いつもそう思うのだが、しかし、見限れないのである。今回もうまくすると優勝もあるんじゃないかと思ったりして。実際、1打差の位置にもいたし。

 で、ふと気がついた。

 昔自分がどうしても理解できなかったものに阪神ファンのメンタリティというのがある。今の阪神はまだマシなのだが、昔の阪神ね。関西は、阪神ファンばかりである。阪急、近鉄という球団もあったのだが、こちらはパリーグで人気が無い。阪急と近鉄の2球団も弱かったなあ。「パリーグのお荷物」と呼ばれていたほどだ。でも、それでも、その数少ないファンたちの心情は理解できた。球団としての阪急がなくなるラストゲーム、阪急ファンのおっちゃんの涙は本当に美しかったし、「プロ野球近鉄元年」と呼ばれた頃の近鉄ファンの盛り上がりも懐かしい。

 しかし、これに対して、巨人に並ぶ人気球団である阪神は、球団幹部の権力争いが絶えないこともあって、選手たちもまた派閥争いの影響を受け、とても共闘するような組織ではなかった。選手はみなブクブクと太り、アスリートというイメージもなかった。それでも阪神ファンはみな、阪神ファンであることをやめないのである。巨人に勝てず、優勝もなく、「ダメ虎」「ダメ虎」と呼び、選手を罵倒しながらも、やけ酒をあおった翌日には、また虚しい応援の声を上げるのだった。僕はどうにもそのメンタリティが理解できなかった。酒ばかり飲んで働かず、ちょっと文句を言えば暴力を振るう、そんなダメ男と別れられない女のようではないか。

 しかし、この何年間渋野日向子を観てきて、先日ふと思ったのである。気がつけば、自分も、あの頃の阪神ファンと同じことをやっているなと。あれほど、渋野はもうだめだ、もう見限ろうと思いつつそれができない。あの頃の阪神ファンの心情を理解したとも思えないが、人というのはこういうこともあるんだということはまず理解した。その上で、冷静に考えると、こういうことだろうか。

 一喜一憂、この回数が多ければ私たちの心は激しく揺さぶられる。喜と憂、これの落差が大きいほど私たちの心は激しく揺さぶられる。喜びと憂うつの間には「期待」「希望」という名の小舟が浮かび、私たちはいつもその上でたゆたっている。まあ、何てことはない。人をギャンブルに誘う仕組みと同じだな。要するに間欠強化されてしまっているわけである。簡単に言えば。

 というわけで、これからは、これまでとは少し違い、あまり迷うことなく渋野を応援しようと思うのだった。これでひとつ心の平穏を得たかな。

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