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菅野所長のエッセイ:大事なことは守らなきゃ

今週、あのブログでは、こういうテーマは書かないのか?と複数人から言われた。確かに気になった時事ネタはたくさんあるわけだが、書く段になると切り捨てることもある。妙に書きにくかったりする場合もあるし。
しかし、そう言われると、もう古いネタではあるが書いてみようかという気になった。で、今回はそれで。

まずは、「闇営業」から始まった吉本のドタバタかな。これは渦中の中心にいたあの芸人があまり好きじゃないので書かなかったな。それと、いち早くビートたけしが見事なコメントを出したのでもういいかと。
「猿回しの猿が悪さをしたときに、猿に謝らせてどうするんだ」
いやあ、もう言うことはない。会社サイドは、世間を騒がせたと謝罪会見を開き、相応のペナルティを発表すればそれで事足りたのだ。あの程度なら、斡旋している入江某はクビでいいが、宮迫某には謹慎一年、他は半年くらいが妥当だろう。
高校野球、花巻東の大谷以上の逸材と言われている佐々木投手。岩手県の決勝で監督は彼に投げさせなかったことが物議を醸した。学校には非難の電話が殺到したとか。
これは監督が文句なく正しい。彼の将来を思えば当然だな。何でこんなに勝利至上主義者が多いのか。これに文句を言う奴は、かつて星陵高校時代の松井の4打席連続敬遠も肯定するのだろうか。他の含みはない結論なので書くまでもないと思ったのかな。
そもその高校野球なんだから、高野連は投球数制限を設ければいい。高校生だから80球くらいかね。だって巨躯を誇る大リーグでさえ、投手が100級以上投げることは滅多にないのだ。
日本人は高校野球に悲愴を求めているよね。かつての三沢の太田や横浜の松坂とか、あの甲子園の炎天下で200球以上も投げる姿は、感動も覚えるが、その内容は悲愴にある。客観的に観れば狂気の沙汰とも言える。

札幌の市街にヒグマが出没した。住民はさぞかし怖かったことだろう。しかし、これを単純には駆除できない。街中では発砲してはいけないという条例があるからだ。だから、何日間もクマは出没し続けた。これに対して、こういう場合だからいいんじゃないのと柔軟、融通を唱える人もいるが、僕はそれはやってはいけないことだと思う。
そうした例外、前例をつくってしまうと、必ずやその規制はユルユルになってしまう。それが怖い。嘘であっても、クマが出たから銃を取りました、発砲しましたということが許される。自衛隊の海外派遣と似てるな。今週、くだんのクマは町の外で駆除されたらしい。

名古屋での「表現の不自由展」が慰安婦像があるからと中止に追い込まれた。河村市長がこのイベントを激しく非難し、県知事は擁護。このイベントのセンスやレベルはともかく、河村の弾圧ぶりはどうだろう。ここは、中国か、北朝鮮かと思ってしまう。どのような思想信条も守られなければならない。たとえ、それが気に入らなくてもだ。もちろん、すべてが自由であるわけはない。いくらあなたには自由が守られているとは言っても、映画館で突然火事だぁ!と叫ぶ自由はない。この場合、気に入らない人は観なければいいし、何ならネットで悪口を言えばいいのである。完全なる憲法違反。このような封殺がまかり通ってしまうのは、僕が危惧するような方向に世の中が動いているからだろう。あまりに呆れたので書かなかったかも。

アメリカのドラマで相手をメチャクチャにする、破壊するという意味で「ナガサキする」という比喩表現が使用された。おりしも8月を迎える頃で、これを知った長崎そして広島の人たちの痛みはどれほどのものだったろうか。街中でのインタビューでは、長崎の人は日本人らしく悲しみを前景にしたコメントを絞り出し、アメリカ人観光客の多くもそれはないとおおかたは否定的である。

さて、この問題でもっとも不可思議なのは、政府筋から何もコメントがないことである。官房長官、首相からの「遺憾の意」はないし、僕としてはアメリカに抗議するのが当然だと思うがそれもない。まったくこいつらときたら、精神的な無痛症なんだなと思う。

と思っていたら、小泉進次郎がなぜか官邸で結婚報告ときて、そこへにやけ顔で菅官房が出てきたりする。小泉は何年か前から、こいつも怪しいなと思っていたが、これを見ると完全に取り込まれているのがわかる。官邸であんなことするなんてあざとすぎるね。それを許すどころか大いにやりなさいとしたのが現政権。公共の場でああいうことを平気にしちゃうというのは、同じく公共の場で行われたからダメと言われた「表現の不自由展」よりも問題にすべきことじゃないのか。

以上、書かれなかったコラムを書いてみると、何というか、われわれには守らなきゃいけないことがあるというテーマがあるように思った。政治は民を守らなきゃいかんし、われわれ一人一人もまた守らなければいけない矜持というものがある。札幌では市民も行政もよくがまんした。

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