先日は久しぶりに雨が降った。最近太平洋側はものすごい小雨である。ちょっと前には雪が東京や関東を覆い尽くしたこともあったのだが、結局、雪は地面にしみこむ前にほとんどが蒸発しちゃうみたいだね。たとえば、競馬場で、たくさん雪が降ってコースが真っ白になっても、除雪してしまえば良馬場の発表になる。それと同じかも。
だから本物の雨はありがたい。こういう雨は「慈雨」と呼ぶにふさわしいな。
「慈雨」、日本語はいいね。以前黛まどかさんが言っていたことには、「慈雨」のように、日本語では雨の種類が400以上(600だったかな?)あるんですと。「春雨」「秋雨」「驟雨」「涙雨」とかいろいろね。すごいね、日本語。ちなみに400という数は何かあるんだろうか。日本で食べられる魚の数は約400魚種ですと。さすが、日本。食用にする肉というのは牛、豚,鳥、羊、大きく分けて4種類くらいだが、魚が好きだと、400以上の味を堪能できるわけである。魚好きのほうが良いのではないかい?
こういうのは日本だけかと思ったが、確かイタリアで採れるトマトの種類が400だと聞いた。すごいねイタリア。すごいね,トマト。つまり、人々の関心や愛がそれだけ深いとこういう数は多くなるのだな。
さて、五輪後、テレビをつけるとりくりゅうペアが出てくる。あの演技には世界中が涙したとのことだし、それも当然か。何というか、すべての競技を凌駕しちゃったよね。
で、この二人の関係について、何かと下世話な話や噂が出てくるのだが、僕なんかはそういうプライベートなことにはまったく関心がない人間である。どんな関係だろうといいじゃない。
とは言え、この二人について語られるときにキーワードとなっているのは「信頼」である。「絆」ではないようだね。
「信頼」ということになると、僕としては一言言いたくなる。と言うのも、以前、金子書房の『児童心理』という雑誌で「信頼について」という論考を上げているからだ。
「児童心理」は、その名の通り子どもの心理にかんする専門雑誌なのだが、子どものことについては素人の僕になぜかよく原稿を依頼してくる奇特な雑誌だった。「だった」というのはすでに廃刊しているからで、その最後の号の巻頭に僕の「信頼について」という原稿が掲載されているのである。それが2019年のことで、そこまでの約10年間に10回くらい依頼されたかな。
この雑誌のありがたいところは、僕が素人だからだろうが、何でも好きなように書いても許されることだった。同じ号に書いている他の、児童専門の心理学者や精神科医にとってはすごく迷惑だったかもしれないけど。
ほんとにありがたかったな。他のところで要求されるのは「こころの日曜日」のような内容が多かったしね。実は、この一年もある月刊誌で連載を引き受けていたのだが、何しろ手術してからは面接もろくにできないので、資源を失っている僕である。一年が限界ということで延長を断らさせてもらった。読者からの評判がいいということでけっこう食い下がられたんだけどね。ありがたいことだ。だけど、もう無理。何でも好きなこと書いてもいいというのなら大丈夫だけど、そういうことも言えないし。しかし、こういうふうに仕事を断ったのは初めてかも。
まあそれはともかく、この「信頼について」という論考は、自分で言うのも何だが、なかなかの力作で、個人的には「書斎の競馬」の原稿くらいのレベルではないかと思うのである。実際、この論考は、大学の受験問題として何回も転載されているくらいで、今でも著作権協会から毎年転載料が入ってくる。ああ、それと予備校の試験問題とかもあるな。転載だから大した額ではありませんが。
どのへんが力作かというと、そこが好きに書いてもいいことの良さで、もう心理学とか関係なし。大好きなフーコーのようなやり方で「信頼」というものの歴史的な背景を探ると。そのために執行猶予制度や更生保護制度なんかを参照したりして、やりたい放題。楽しかった。
で、ここでの結論。「信頼」は「信用」とは違う。「信用」の場合は信じるに足る見返りが必要となる。「信用取引」なんて用語があるくらいで。「この人を信じれば必ず金メダルが取れる」というのは、信頼と言うよりは信用なのである。それとは違い、「この人を信じて、それでメダルが取れなくてもかまわない」という信じ方、それは信用ではなくて、信頼である。
信用には有形のリスクがあり、信頼には無形のリスクがある。ということかもね。法律用語、経済用語には「信用」が使われるけど、「信頼」はほとんど使われないでしょ。でも、りくりゅうの関係については、あるいは人と人との関係については「信頼」が使われる。法律や経済の用語には「信頼」は出てこない。
ふるーい国語辞書の中では、信頼と信用は同義だった。日本の心理学の研究で「信頼」というものが研究対象となったのは1990年代以降である。しかし、そんな時代、1970年代に、マンガ家水島新司はヒット作「ドカベン」の中で登場人物にこう言わせている。
「捕手は、投手を、信頼はしても信用してはならないのだ」
当時僕はこの言葉にガーンとやられた。で、信頼と信用との違いについてすごく考えるようになったのである。それを言語化できる機会を与えてくれたのだから金子書房には感謝である。他にも「ふるさと」にかんする論考、千原ジュニアの小説「14歳」にかんする論考とか、ほんとに自由に書かせてもらったね。そうそう、5年前、ガンとのかかわり方についても電子書籍のほうで書かせてもらったな。(金子書房note「私は私と戦わない」)
「書斎の競馬」も『児童心理」もなくなった僕は、本気を出して書く場がなくなったよね。だから、自由に書いているこのコラムの存在は大きいわけ。書くこと書きたいことは一杯あるし。
次回あたりは世界平和とアメリカ大統領の話でもしてみようかな。
