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ゴジラ+1.0

 女子ゴルフの国内大会で先週優勝した菅沼菜々は、もともと実力も人気も兼ね備え、23年度には2勝を挙げている選手なのだが、極度の不振から去年はシード落ちしていたのだった。彼女には閉所恐怖があり、飛行機に乗れないのでアメリカツアーにも挑戦できないという不憫さもある。

 今回の復活は、コーチを変えたことがいちばんの要因であろうが、メンタルにかんしても成長が合ったようだ。

 というのも、この選手はある特定の悪夢を見るようになっていたのである。それは「ゴジラに追いかけられる」夢だった。それを告げられた新任のコーチは、ゴジラを「逃げたくても逃げられない困難な問題」の象徴と解釈し、ゴジラから逃げずに立ち向かうこととし、「打倒ゴジラ」が二人の合い言葉となったということである。

 この後日談を聞いてちょっと驚いた。じつはこの僕も、小さい頃からずっとゴジラに追いかけられる夢を見てきたのである。正確には、当時テレビでやっていたマリンコングという怪獣なのだが、夢の中ではマリンコングだったりゴジラだったりした。マリンコングの放送があったのは1960年のこと。小さい僕には十分に怖かった。夢はその頃から見るようになり、大人になってもずっと続いた。たぶん、ゴジラ映画を見るようになってからはマリンコングの出場回数は減ったのではないかと思う。

 とにかく、そんな7,8歳の頃に始まった悪夢だが、30代、40代になっても見るのである。とくに40代の忙しい頃は頻繁に見るようになった。夢が始まると「またこれか-」とほんの少しの覚醒意識の中で思う。そして、その怖さは子どものときと変わらず、ときには恐ろしさのあまり夜中に目覚めてしまうこともある。そんなときは息も荒く、心臓はドキドキ、寝汗でびっしょりだ。

 ゴジラに追いかけられる怖さというのは、とにかく逃げても逃げても自分を追いかけてくるという怖さである。他にも逃げ惑う人は一杯いるのに、なぜか自分だけを追いかけてくる。こんな理不尽があるのか。

 頻繁に見ていた頃、何とかこれを解消できないかと考えた。毎晩のように見るのでつらかったからね。

 何であいつは自分だけを追いかけてくるのだろうか? その答えはよくわからない。分かったのは自分の夢だからだろうな、くらいである。

 けれども、ある夢のときだった。最初の頃はいつものように逃げ惑っていたのだが、途中、むやみに逃げずに建物の陰で静かに隠れていると、ゴジラは僕の居場所が分からないようで、そこら辺をウロウロとしていたことがあった。物音も立てず、息も殺して隠れるのである。いつ気づかれるかと、怖いことは怖いのだが。しかし、そうしているうちにゴジラは、ズシンズシンという音ともに、どこかに立ち去っていった。悪夢の長い歴史で初めてのことである。

 そうかあ、こいつは僕の出す音に反応してるのだな。ならばこれからはこうやって躱していこう。音を立てなきゃいいんだ。もう怖くないかも。こうやって対処法を見つけたと思ったら、不思議なもので、以降ゴジラの夢をさっぱり見なくなった。自分のとしては次に見るのがちょっと楽しみでもあったのだがね。

 で、面白いことには、僕と菅沼菜々ちゃんの場合とではまったく方向性が違うよね。かたやいかに逃げるかで、かたや逃げずに打ち勝つかである。僕の場合であるが、困難に立ち向かおうとしないのはほんとに自分らしいなと思ってしまう。ポリポリ。

 一方、アスリートはすごいね。普通あのゴジラに立ち向かうなんて思わないよね。もう何というか、文人と武人との違いというかね。つくづく彼らは「克服」タイプなんだな。あるいは「解決」と「解消」というかね。

 まあ人それぞれ、自分に合った対処法というものがある。僕もよく「こういう場合、どうしたらいいですか?」の問いに対して、ハードなやり方とソフトなやり方、どちらをお望みかを尋ねることがある。ハードなやり方はこうでこう。まっすぐに解決に向かうがその分リスクもありますと。そういうリスクが嫌なら、こういうソフトなやり方がある。その代わり、こちらは時間がかかりますと。

 まあしかし、時間がかかった分、反動はない感じである。映画「ゴジラ-1.0」を観た後も、これはひょっとしてと思ったが、夢には出てこなかったなあ。何しろ30~40年かかったからね。

 菅沼菜々ちゃんももうゴジラの夢を見なくなったのだろうか? 飛行機にも乗れるような気になっているのだろうか? 逆に、ゴジラを追い回す夢でも見るようになったならすごいもんだが。

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