菅野所長のエッセイ:3年後の葬送

 先週のコラムを休んだのは、1週間仕事場に来られなかったからでした。
どうしてかというと、残念ながら私の父が亡くなったからである。

 先々週の木曜日に、例によって訪ねたところは、すこぶる元気な感じで、銀座まで行く道々、あれならまだ5年くらいは大丈夫だなあと、いつもと同じことを思っていたのである。それが金曜に気分の悪さや吐き気などがあり、私の兄が病院に連れて行ってくれたりしたのだが、医師によると「大したことではないだろう」との診断。レントゲンでは異常なく、何よりも熱もなかったらしい。しかし、その後日曜日に胃に穴が空き、腹膜炎を起こした。高齢になってからは肺炎と腹膜炎はかなり危ないということだ。

 しかし、医者が大したことないと言って、その1~2日後に死ぬのだから、母親のときといい、どうにも医者運が悪い。まあしかし、医者を責めても生き返るわけでもない。思うに、高齢者の場合は、遺族がそういうふうに考えがちになるので、医者も軽く考えているところがあるんだろうなと思う。つまり訴えられることが少ないということだ。

 で、月曜日の午前中、大学にいるときに、兄からの連絡で仕事は早退。葬儀や遺品の整理などいろいろとやらなければいけないことがあるので、丸々1週間を休みにした。面接のご予約があった方々にはまことに申し訳なかったが、兄ばかりに負担をかけさせるわけにはいかないので。それでも私の兄はほぼ定年生活に入っているので、多くのことをやってもらっている。ありがたい。

 実は、火曜日に軽いぎっくり腰になってしまって、まずその1週間はつらかった。もう親族もあまりいなく、いめやかな葬儀だったが、木、金とそれも終わり、土曜にまた遺品整理の確認を兄として、あとは納骨までは僕の出番はあまりない。1週間休んだので、仕事はピンチ。日曜は仕事場まで出向いてめどが立つようにした。そして今週。休んだしわ寄せもあってか、1週間が長い。日曜には京都で仕事があるのだが、さっき資料を送ったばかり。これもスタッフに手伝ってもらって何とかかっこうがついた。

 それにしても、母親のときとはずいぶん違う心境である。兄はどうなのかなと訊いてみたら、「慣れ?」という言葉が帰ってきた。確かにそれもあるのかもしれないが、87歳十分に生きたという感覚を本人が持っていたこと、この3年、ほぼ毎週会いに行っていたことなど、母親のときよりも少しは親孝行をしたことがあるのかな。

 父親のことで改めて思うのは、ほんとに信じられないくらい私利私欲のない人であった。それがために生きにくいところも多々あったのだろうが、昔はこういう人がけっこういたんだなと。休んでいる間に、ふと思い立って「3丁目の夕日」を観に行った。1964年時の設定で、自分の家族を振り返るにはいいのではないかと。ただ映画中に吉岡秀隆の父親が亡くなるというシーンがあり、多少自分とかぶった。でも、吉岡演じる茶川は、その死を切々と悔やむのだが、僕はまったくそうでもない。もともとさっぱりとした親子関係だったからかもしれないが。

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