いつのまにか9月になってた。静岡、名古屋と、今月は2回出かけるかな。いろいろ本を読んでいると、行ってみたいところが増えた。だいたいは遺跡なんだけど。でも気候がもう少し良くならないないとな。それとせいぜい2時間くらいで行ける日帰りが望ましい。
TVで旅番組を見ていたら、山形の食が紹介されてた。僕の親は山形県人なので、よく食卓に出ていたものが出てきて懐かしかった。それで、ネットで取り寄せてみた。ひとつは「しそ巻き」、ひとつは「小ナスのからし漬け」。しそ巻は懐かしくも、今も美味しいと思う味だったね。一方で、鮨でもサビ抜きのほうがいい今の僕にはさすがにからし漬けは辛すぎたな。ほんとは大好きなんだけど。
山形の食で他に有名なものに「だし」があるけど、以前市販のものを買って食べてみたら、全然美味くなかったんだよね。あれは新鮮な野菜を使って家で作るのがいちばん美味い。お菓子では「のし梅」とか「ずんだ」かな。
のし梅は大好きなお菓子だった。実は、僕の父方は山形の大きなお菓子屋で、この「のし梅」は僕のひいおじいちゃんが現在のようなかたちにしたもので、世界的な大会でも賞を獲ったとか、昔「のし梅」の取説書に書いてあった。まあ、こういうのは、元祖とか本家とか、発祥にも諸説あるのが普通だ。でも、菅野家説は今では完全に消え去っている。何でかというと、11人兄弟姉妹の5番目くらいの兄(僕からすると叔父)が店を継いだのだが、芸者遊びに明け暮れ、あっという間に身代を潰してしまったのである。結果、栄華を誇った山形菓子の大店、菅野家はなくなり、その歴史を伝える術もなくなったのである。歴史とはつねに勝者の歴史であるから、現在のし梅の歴史を調べてもある商店の名前しか出てこない。勝者はこの商店なのだ。
昔、兄の結婚式でこの叔父さんと会ったけど、おそらくは芸者遊びで鍛えたさのさ踊りみたいなのを披露してたけど、何というかダメダメな感じの年寄りで、ちょっと親近感が湧いたなあ。
さっき言ったように、僕の家では山形の食がちょくちょく登場する。「だし」と「しそ巻き」は登場回数が多いからやっぱり印象深い。とくに山形のものではないけど、僕の父親はシシトウが好きだった。当時シシトウガラシは「南蛮(ナンバン)」と言っていたけどね。
シシトウは、焼き鳥屋で野菜焼きの定番だ。でも、今のシシトウはまったく辛くないよね。見た目は完全に青唐辛子なのにまったく辛くない。ところが、昔の「ナンバン」は辛いのがけっこう混じっていた。でも、見た目ではまったく識別できず、食べてみないとわからない。
僕の父親は、辛いのに当たると喜び、辛くないとがっかりしていた。僕みたいな子どもは辛いのに当たると大騒ぎで、耐えきれずに吐き捨てることもあった。つまり、『ナンバン」は、子どもにとってはロシアンルーレットのようなおかずだったのである。そういう時代に育ったから、今でもシシトウを食べるときにはちょっと緊張してしまう。しかし、もはや辛いシシトウに出会うことは100%ない。
でも不思議だよね。何で辛いのと辛くないのが混在してたのか。ぼくの記憶というか印象では、辛いのが3~4割、辛くないのが6~7割だったかな。
これについては、トウガラシにかんする記載を読んで分かった。日本におけるトウガラシは、秀吉の朝鮮遠征時に朝鮮から持ち帰ったというのが定番である。当時は朝鮮でトウガラシは料理に使われてはいなかった。日本の武士が持ち帰ったときも食用ではなくて、辛さを利用した兵器にしようと考えてのことだと。熊よけスプレーと同じ発想だね。日本で料理にトウガラシが有用とされなかったのは、日本人が肉食ではなかったからだと推考されている。魚料理にトウガラシを使えば、魚本来の味はまったくなくなるもんね。日本からの逆輸入のかたちでトウガラシは再び朝鮮に持ち込まれた。まあ、そんな史実があるにもかかわらず、韓国のトウガラシ文化は日本人によるものだということを、韓国人は受け入れないんだけどね。それ以前の韓国の料理本にはトウガラシがまったく載ってないのにね。
その後、ほとんどの料理にトウガラシを使うようになった朝鮮は、肉食禁止の日本と違って、強烈な肉食文化だったのである。来年2月、やっと犬を食用にすることが禁止されることになったくらいのもので、日本の魚文化とはまったく違ってるわけである。まあ、ここまでは、文献に当たるまでもなくトウガラシの常識ではあるのだが。
さて、シシトウガラシは、江戸時代における京野菜のひとつだった。戦国時代に持ち帰ったものとは違って、甘みの多い品種とされている。でも、僕の記憶でもはっきりしているように、シシトウには辛い個体が多く混じっていた。でも、農林省としては、辛みが全くなくなるようにと品種改良を重ねていたらしいのである。そうだったのか、知らなかった。でも、それがうまくいかず、なかなか辛い個体がなくならなかったということである。僕の子ども時代は、たぶんその過度期だったのではないか。でも、時間とともに品種改良が成果を上げ、いつしか辛い個体はひとつもないような状況になった。
これを喜んでいいのか悲しんでいいのか、子ども時代はいざ知らず、ちょっと辛いのが混じっているほうが食べ物として面白いんじゃないかと思うのだがね。大人になるとそう思うね。
