みんなそう思ってるだろうけど、今年の夏は、今まで生きてきて最も暑いな。ま、データでもそれは明らかなようだ。いよいよ日本は四季の国ではなく、二季の国になりつつあるのだろうか。
この暑さは僕の喉にとってはあまり良くない。痰の処理がちょっと大変で、発声もスムースさに欠けてしまう。それから睡眠にも悪影響あるなあ。
猛暑になるちょっと前に、京都の菅佐和子さんから本が贈られてきた。「猫の言いぶん」という、漫画仕立てのもので、猫好きの菅さんの本領発揮である。いいなあ。好きなことで本が書けるというのは。
で、この本は、以前飼っていた3匹の猫を主役として、それぞれの猫の立場からと、それを慮ってのエッセイである。猫たちと菅さんのエッセイマンガなのである。猫のエッセイと言えば、「我が輩は猫である」もそうだったな。
僕の場合、ユーチューブでいちばん観るのが保護猫、捨て猫の動画である。つまり猫好きだからということもあるが、この本はとても面白い。僕のまとめ的な結論としては、世界は人間のためだけにあるんじゃない、というところかな。この場合の「人間」は、「自分」と置き換えてもいいのだが。
しかし、菅さんは僕よりも数歳年上なのだが、もうほぼリタイアしてからこういう風に好きなことができるというのはいいね。この本によって猫関係の仕事依頼がけっこう来るのではないだろうか。ほぼニーズがなくなってしまった自分からすれば、うらやましいところだ。
かつては競馬雑誌に連載を持っていたり、本を出したりもしたのだが、あれも30年近く前のことだからなあ。ちょっと早かったのか。しかし、本業以外のそういう仕事はほんとに楽しかった。何十冊も本を出したけど、はじめて競馬の本を出したときがいちばん嬉しくて、しかも不思議なことに、すごく誇らしい気持ちになったんだよね。
オリンピックが終わると日常が味気ない。しかし、来年の9月に日本で世界陸上が開催されるということで、早くもチケットの販売が開始されており、僕の友人が2日分のチケットを予約してくれている。ありがたいことだが、それにしても早い。たぶん、世界中から客が来るからなんだろうが、チケット代もけっこう高いよね。でも、日本でやってそこまで客が来るのかなあとちょっと懐疑的なのだが。それと国立の客席の狭さは尋常ではないから、それも気になるところだね。
パリ五輪で気になったことを言おうか。
阿部詩のギャン泣き事件であるが、阿部詩を擁護する人には、前提となる認識に誤りがあるのではないかと思った。それは、あれほど人前をはばからずに泣くということは、それだけ悔しさが強く、悲しみが深いからだという考えを持っているということだ。でもそれは先入観、偏見というものである。誰よりもたくさん泣いているから、誰よりも悲しんでいるとは限らない。誰よりも怒鳴っているから、誰よりも怒っているとは限らない。のである。
多くの人は人前でああいう行動は取らないだろう。それは、悔しくないからでなく、悲しくないからでもない。感情をコントロールできているかどうかという問題なのである。そこが分からない人は、社会的にはちょっと幼稚なのではないかと思われる。擁護する人がけっこう多いなと思うのだが、その辺ちょっと懸念するところだ。
もうひとつ、スケートボード女子の日本選手が、決勝に進めるかどうかとなったときに、その選手は「他の選手の失敗を祈りたくない」とインタビューで語った。これについて、ネットでは、なんと清らかな心の持ち主だろうと絶賛された。
えー?! いや違うでしょ。「祈りたくない」と言ってる時点ですでに少しは祈ってるでしょ。そういう発想をもった時点である程度考えてるでしょ。この発言に対してかなりの多数がそう考えているとしたら心配だなあ。
で、僕は別にそういう考えを持ってはいけないなどとは考えない。持ったっていいのだよ、それくらい。普通だよね。口に出して言う言わないはあるけど。でも、サッカーで相手のPKを「外れろ外れろ」と祈るのは普通のことだぜ。でも、それを汚れた心だと考える人たちがいるみたいだ。
阿部詩の場合と同じで、あまりに単純、平板なんだよね。SNSでのことだから、実際にはどれだけの割合の人がそう思っているかはわからないんだけどね。ほんの少数であることを祈りたいのだが。
そんなことを学ぶ上でも、「猫の言いぶん」はいい教科書になるのかもしれない。でも、ちょっとそういう人にとってはちょっと深いか。